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4/9イースター✴︎ルカ24章36〜43節


主の復活を祝う一日、感謝します。子ども会は聖書のお話を聞き素敵な賛美をたくさん歌い、ワクワク理科教室スライム作りや野原に出て行って草むらにイースターエッグを捜したり、ゲームをしたりと楽しいひとときでした☺️


みことばは「良く見なさい」と題してルカ書より


❶イエス様の顕現


イエス様が十字架にかかり墓に入られて、すっかり落ち込んでいた2人の弟子はエルサレムを離れエマオという村に向かっていました。(ルカ24章13節)その2人によみがえられたイエス様は現れてくださり、旧約からご自分について書かれていることを丁寧に解き明かしなさいました。遮られていた2人の目は、イエス様が祝福の祈りをされた後に開かれ、共にいてくださった方がイエス様ご本人であるとはっきりわかったのです。2人はすぐに立ち上がってエルサレムの他の弟子たちのところに向かいそのことをすべて彼らに話しました。

そこへ、です。

イエス様が彼らの真ん中に立たれて「平安があなたがたにあるように」と言われたのです。


この言葉「シャローム」は、あいさつを表す言葉ですが、ここでは単なる挨拶ではなくイエス様が彼らに必要な言葉をかけられたということが語られました。

ヨハネ20章には3回イエス様がこの言葉をかけられていることが記されています。

19節「平安があなたがたにあるように。」

21節「平安があなたがたにあるように。」

26節「平安があなたがたにあるように。」と。


イエス様が慌ただしく捕らえられ、裁判に引かれて行き、十字架にかかられ、葬られるという一連の出来事の前まで、弟子たちは師であるイエス様の後ろで、誰が一番偉いか、とそんなことばかり考え議論していました。しかし、その師が死んでしまった。弟子たちは愕然としたまま「イエス様がよみがえられた!」とニュースを聞いても、未だ不安に包まれ、閉め切った部屋で恐れ怯えていたのです。


そんな彼らのただ中に立たれたイエス様が「平安があるように」とそのようにお声かけくださったのでした。不安の嵐の中。自分達は捕らえられるかもしれないと恐れていた彼らにとって一番必要だったのは、このイエス様のくださる「平安」でした。



ルカ24章にはイエス様のよみがえりについて三つのエピソードが語られ、そこに「必ず」とか「成就」という言葉が使われています。イエス様の十字架からよみがえりに至るまで、それは神様がご計画されたことであり、それは必ずなるのだ、と旧約聖書を用いながらよみがえられたイエス様は弟子たちに現われて解き明かされ続けました。実に40日間です。


そのように教えられた弟子たちは、それをさらに他の人々に伝え、次の世代へ・・・と、このみことばは、私たちの元にまで伝えられてきたということを覚えます。


さてヨハネ20章24節には一人だけ、この場に居合わせず「私はその手に釘の跡を見て、釘の後に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ決して信じません。」と言った弟子トマスのことが書かれています。その八日後にイエス様は、トマスも含めた弟子たちすべての前に再び現れ、真ん中に立たれました。そしてトマスに向かって「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」「見ないで信じる人たちは幸いです」そう言われました。


「見ないでも信じる」とはどうやって信じるのか。それは、まさに啓示としての聖書を通してであり、この聖書を信じるとは、イエス様のよみがえりと共に、私たちの救いの完成としてのよみがえりを信じることにもつながってゆくのだと語られました。

つまり、このように不思議なことが起こったから信じなさいというのではなく、この啓示としての「聖書の確かさ」をイエス様は弟子たちに説かれていったのでした。


❷イエスだけが私たちの目を開くことができる


イエス様は弟子たちに、ご自分について語られている聖書を悟らせるために「彼らの心を開いて」語られました。(45節)

聖書を書かれたご本人が聖書について語ってくださったのです。

弟子たちはこれまでも、イエス様のそばにいて、神の国の福音の奥義について聞くことを許された人々でした。しかし、その特権を無駄にしていたかのように彼らには「理解」することができなかった。つまり彼らの心は閉ざされていたのでした。


信仰を持ったから。あるいは高度な神学教育を受けたから、といって「真理」を知ることができるかというとそうではない。「心が開かれているか」ということが重要であり、それを成してくださるのはイエス様であることを知るのです。


「Heaven is for real」〜天国は本当にある〜というストーリーについて紹介されました。

最近この映画を再び観て、励ましを受け、ママカフェでも分かち合い、皆で励まされました。

アメリカのある牧師の息子である3歳10ヶ月のコルトンくんという男の子が虫垂炎になり非常に危険な状態で手術を受け奇跡的にいのちを取り留めます。しばらくしてこのコルトンくんがポツポツと天国のことを話し始めます。初めは皆気にも止めませんでしたが、とても知り得ないことを話すのを聞いたり、聖書と合致していることを聞くうちに、コルトンくんの話を受け入れ、そして大きな励ましと希望を受け取るのです。


私自身はこのストーリーを観たり読んだりする中で、使徒の2章17節のみことばを思いました。

「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。するとあなたがたの息子や娘は予言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。・・・・」


幼子であるから真理を知らないとは言えない、と語られました。

たとえ大人のようにうまく伝えることができなかったとしても、です。なぜなら神様が一人ひとりに真理を語ってくださるからであり、私たち大人は「幼子のように」心を良い地にして、神のお言葉を聞くことを求められているのです。

「心を開かなければ」神の言葉を理解することはできないのです。

エペソ1章17〜19節にはこのように書かれています。


「どうか、私たちの主イエスキリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊をあなたがたに与えてくださいますように。

またあなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、

聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

また神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」


この「心」というのは、元々の言葉で「ヌース」という言葉であり、それは感情を指すのではなく、知性・理性を表す言葉で、理解力、判断力、分別、考える力を表すのだと語られました。イエス様が弟子たちの「心を開かれた」というのは、彼らが聖書の啓示を正しく理解し、論証することのできる力を与えるためであり、

私たちもまたそのような力を与えられるように求めて行くことが必要なのだと語られました。


❸私たちは何を伝えるべきか


このイースター。私たちは何を人々に伝えるべきなのでしょうか。

イエス様は、弟子たちの心を開いて何を悟らせようとされたのでしょうか。

それはイエス様の十字架の死と復活が人に何を与えるか、ということなのではないでしょうか。


イエス様の福音ー赦しを受けるために必要なことは「神様への悔い改め」です。

イエス様は公生涯に入られる時に、イザヤ61章1節

「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、

心の傷ついた者を癒すため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。

捕らわれ人には解放を、

囚人には釈放を告げ・・・」

と朗読され、「今日これが実現しました」と言われたのでした。

やがて十字架の上で「父よ。彼らをお許しください」と言われたイエス様の十字架のそのお姿から、私たちは本来は自分が受けなければならない罰を受けてくださったことを知り、それこそが福音であり、ルカはこのことを伝えるためにルカ書を記したのだと語られました。


弟子たちは、イエス様から十字架とよみがえりの意味を教えられ、罪を悔い改め、そしてこの「イエス様の御名を信じる者には赦しが与えられる」という福音を携えて遣わされていったのでした。


心にこのイエス様をお迎えし、そして十字架と復活のみわざを覚えて感謝する時となりますように。。。。


「私たちの国籍は天にあります。ピリピ3章20節 聖書 」

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