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神様の手を握る*ローマ書10章18ー21節


人数を制限しての礼拝が続いています。今日はお花を上手に育てられている婦人が、長年お庭に咲いているお花を持ってきてくださいました。その名も「エビソウ」海老に似ているからなんだそうです。根っこが出てきたら土に植え育ててみようかと思います。


今日のメッセージは「差し伸べられた神の手」と題してローマ書よりメッセージ。

救いはイエス様の福音を聞くことから始まり、私たちは、まだそれを受け取っていない人々の元にそれぞれ遣わされているということが先週のメッセージでした。

 

今日の箇所で、神に選ばれたユダヤ民族は、神様から愛されているのに、なかなか救われない。それはなぜか。それは、伝えられても受け取ろうとしないユダヤ民族に責任があるのだと、語っているパウロの言葉があります。


❶神が計画しておられること

「一般啓示」と「特別啓示」という言葉が出てきました。

18節において詩篇19篇のみことばが引用されています。私たちは天を見るとき、世界を見るとき、そこに造り手であられる創造主を見ます。神の創造の御業にふれるとき、神を意識するのです。

 詩篇19篇には、神様が自然を通してご自身の存在を私たちに明らかにしてくださることが記されています。造られたこの世界と作者であられる神様。そして被造物は皆、神様の栄光を語り伝えている・・・と。

 パウロはこの「一般啓示」と共に、「特別啓示」であるイエスキリストの福音についても

「そのことばは全世界の果てまで届いた。」と語りました。福音は全世界に宣べ伝えられている、と。全地とは、当時の地中海世界という世界観であり、ユダヤ人が世界各地に散らばっていった時に、その方々にもきちんと福音は伝えられている、とパウロは語ったのです。


福音はしっかりと届けられているのに、なぜユダヤ人がそれを受け取ろうとしないのか。

19節でパウロは、彼らは「知らなかったのでしょうか」聞いたが理解できなかったのか?と問いかけています。そしてすぐにそれを否定し、旧約全体の律法の書であるモーセの言葉と、預言者の書であるイザヤの言葉を用いて、彼らが知らなかったとは弁解できないと語るのです。


19節の言葉「わたしは民でない者たちであなたがたの妬みを引き起こし、愚かな国民であなたがたの怒りを燃えさせる。」

やがて異邦人が神の民として召されて、神様の祝福が注がれる時が来る。それを見てユダヤ人は妬み、怒るのだと書かれています。

 申命記32章には、イスラエルが愛を注いでくださる神様から目を背け、神でないものを拝み、神様の妬みを引き起こした。そこで神様もイスラエルに対して、異邦人に祝福を注ぎイスラエルに妬みをひき起こすと言われた。


このことがパウロがこの書簡を記した時代に実現しました。異邦人が多く救われ祝福をいただいたのです。ユダヤ人は異邦人を「犬」と呼んでいました。自分たちは神に選ばれているが、異邦人は違う。しかし、異邦人が同じ土俵に上がってくる。「イエスを信じたものたちは神の子となる特権を与えられる。」そんなメッセージは聞きたくない、と応答し、

彼rはイエス様の福音に対して反発し、信仰による義などないのだ!と自分自身の義によって神に認めてもらうのだと、そこに立ったのでした。

神の前には、人の差し出す義など通用しないのに。


もしコップ一杯の水があり、そこにスポイトで水溜りやドブなど汚い水を入れられたらそれを私たちは飲もうとはしません。汚い成分が全体に浸透していることを私たちは知っているからです。私たちの罪も同じで、神様は罪の浸透した私たちの義を退けられる。

私たちは自分自身によっては、義を立てることはできないのです。だからこそ、イエスキリストという救い主を神様はプレゼントしてくださった。それなのにそれを受け取ろうとしない。ユダヤ人は、分からずにそうしたのでなく、分かった上で別の道を行こうとしたということを知るのです。


❷神の御手はいつも私たちに差し伸べられている

20節〜21節において

神様は、尋ねない者、探さない者に、ご自身を現して愛してくださった。神様と出会うことができるようにしてくださった。と書かれています。神様の深い愛と恵みを思います。

「恵みというのは、得るものでなく、与えられるもの。」

この一方的な恵みによって異邦人は、イエス様の福音を受け入れ、救いを頂いたのです。


また反抗し続けるイスラエルに対しても、なんと神様は、その手を差し伸べておられたということが書かれています。忍耐強い神さま。反抗している民、不従順の民を見捨てず、招いてくださる主、自分を愛してくれない民に、神はずっと手を差し伸べてくださった、と。

だから、寛容な神様の愛を受け止めようとしない民は滅んでゆく、そうパウロは伝えるのです。


私たちに対しても、広い心で受け止めてくださっている神様を思います。


❸私たちが心に留めるべきこと。

第二コリント6章1〜2節のみことば


今は恵みの時であること。神様の差し伸べてくださる手をしっかりと握り、救いを頂き、主に喜ばれる歩みをさせていただけますように!


「神の恵みを無駄に受けないようにしてください。・・・見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。 第二コリント6章1〜2節 」    聖書

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