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「失望せずに」*ローマ書16章16〜20節

更新日:2023年2月6日


暖かい一日。半袖で!元気なお友達です!この天候と海の美しさ、花の可憐さに心励まされます。改めて美しき二宮です。

日曜日のみことばは「平和の神は」と題してローマ書より。


❶分裂とつまずきをもたらす者に警戒しましょう。


ローマ書も終盤、先週は多くのローマの教会の人々の名を連ねて挨拶がしたためられ、手紙を終えるかのように思えたパウロの文章は、今日のところにきて突然厳しい言葉が連なり、警告とも言えるメッセージにつながっています。


ローマの教会の人々の麗しい交わりにも、迫り来る危機があるのだ、このことをしっかりと付け加えておかねば、というパウロの思いが溢れています。


使徒20章28節〜32節は、パウロがエペソの教会の長老たちに対して行った告別説教です。

このように書かれています。

「あなたがたは、自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。

私は知っています。私が去った後、凶暴な狼があなたがたの中に入り込んできて、容赦なく群れを荒らし回ります。

またあなたがた自身の中からも、色々と曲がったことを語って、弟子たちを自分の方に引き込もうとする者たちが起こって来るでしょう。

ですから、私が3年の間、夜も昼も、涙と共にあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」


パウロは教会に荒らし回る人がいることを知っていました。

エルサレムからきたユダヤ主義者のクリスチャンたちが間違ったことを主張し、それが教会に分裂をもたらし、また外からは異端が入ってくるというような状況を嘆き、厳しく警告しているのです。

今韓国はアジア最大のキリスト教国であり、4割がクリスチャンと言われているそうです。

しかしよくよく調べると、そのうちの6人に1人は異端であるとのことです。恐ろしい異端である統一協会や他の多くの異端が日本に次々と入ってきていることを聞くと驚きます。


教会の内側から分裂を起こす人があり、また外側から異端の働きがある時、私たちがとるべき態度は「近づかない」ということであり、それらの人々から遠ざかり、関わりを持とうとしてはならないということです。


❷善にはさとく、悪にはうとく。


私たちは正しいことに対して「従順」であることが大切です。しかし間違ったことにはそれを判別し、しっかりと見極め、離れることが必要です。

騙す人は一生懸命騙します。「なめらかな言葉・へつらう言葉」と18節にあります。

そのようなものをもって、キリストにある純朴な人たちの心を騙すと書かれています。


ガラテヤ書1章6〜8節にはパウロがガラテヤの教会にこのように書いています。

「私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分達を召して下さった方からこのように急に離れて、他の福音に移っていくことに。

他の福音と言っても、もう一つ別の福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。

しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。」


ガラテヤ教会からパウロがいなくなった途端に惑わす者たちによって純朴なキリスト者たちが影響されてしまったことをパウロは嘆いています。教会を荒らす者によって人々が迷い「みことば」ではなく「行い」によって教会を動かそう、支配しようと主張し始めた時に、

「それは違う」「パウロの言っていることと違う」とはねのけたらよかったのに!パウロがあんなにも恵みを語っていたのに!とパウロは「ああ愚かなガラテヤ人」と嘆くのです。


私たちは立っていると言いながら、自分がどこに立っているのかをしっかりと確認することが大切だと語られました。


JECAの信仰告白第一条にはみことばについての確信が記されています。これは福音派と呼ばれるプロテスタントの教会全てにおいて共通する信仰告白です。


このみことばにしっかりと根ざし、この信仰の姿勢を大切にすること。

私たちは生活の中で、悪いことには何の努力もなしに簡単に傾いていきますが、善いことにはというと、これがなかなか。身につきません。努力が必要になってきます。


種まきの例えについて語られました。

みことばのたねが撒かれても、それをもっていこうとする悪霊の働きがあります。

しかし、撒かれた種をしっかりと心の地に植えるならば、それを大切に育むならば、それは長い日を要し、時間がかかるけれども、確かに豊かに成長してゆくのです。


❸勝利の神に委ねましょう。


20節においてパウロは語ります。

「平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下で、サタンを踏み砕いてくださいます。」と。

この言葉を聞くと思い出すのは創世記ではないでしょうかと語られました。

神様の愛の中で、神様と深い交わりの中にあったアダムとエバを、その喜びから引き離したのはサタンです。目に見えない霊であるサタンが、目に見える形で近づいてきました。

サタンがしたいことは、一つ。「永遠のいのちにあずかった私たちが、神様と共に生きる喜びから少しでも離れていくように」ということなのです。


「教会に集まる?いや、そんなことしないで良い。」そのようにサタンは巧妙に私たちの心に働きかけて来ます。

アダムとエバは、毎日神との交わりにあったのに、「善悪の実」を食べてから、

神様がいつものようにエデンの園に来られた時に、その身を隠すようになりました。神のみことばから離れ、その心に罪が入った時「神様との交わり」を奪われてしまったのです。


神との交わりがない時に、心には「喜び」の代わりに「疲れ」が湧いてきます。

心の中では、信仰について教会について批判的な言葉ばかりがこだまするようになるのです。実はパウロ自身もそのような霊の戦いをうちに抱えていたのではないだろうかと語られました。

神の声と同時に「ああ、お前の言葉を聞こうともしない者たちに、なぜ語り続けるのか。もうやめたら良い」そんな言葉も聞いていたでしょう。

しかし、そのようなサタンの言葉に心を支配させず、神様に目を注ぎ、その助けを祈ること。


第二テサロニケ1章8〜10節にはこのようにあります。

「主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。

その日に主イエスは来て、ご自分の聖徒たちの間で崇められ、信じた全ての者たちの間で、感嘆の的となられます。そうです、あなたがたに対する私たちの証しをあなたがたは信じたのです。」


パウロは20節で「速やかに」主が来られると書いています。それは「今」ということではなく、終末の世にある主の再臨を意味していると語られました。

黙示録の22章で主が語られます。

「見よ。わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えてくる。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり最後である。初めであり、終わりである。」

パウロがもっていた希望は、実にこの再臨の信仰であり、今、確かにその時に刻々と近づいているということ。

これこそが私たちの真の希望、最高の希望であり、この希望を握りしめるときに、私たちは主の御名を喜び、賛美を献げることができるということ。


「主よ!来てください!」そのように、祈りながら主を待つ事。

今ある矛盾や葛藤、さまざまな疲れも、悲しみも、主イエス様が再臨される時に正しく裁かれる。

私たちキリスト者の使命は、日々目を覚ましてこの再臨の主を待ち望むことであると語られました。今は理解できない多くのことにも落胆せずに、失望せずにイエス様に希望をおいて、日々を過ごすということ。


私たちに必要なことは、さまざまなことにあくせくすることでなく、サタンを踏み砕く勝利の主に「委ねる姿勢」。今週もこの主を見上げ、この主に希望をおいて歩む一週間とされたいと願いつつ・・・。


「自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。黙示録22章14節  聖書」




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