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「神から与えられたギフト」*ローマ書12章3〜8節

更新日:2023年3月18日


日曜学校は大学生のスタッフが先週の礼拝みことばからわかりやすく語ってくれました。「神を恐れるのか、人を恐れるのか。」サウルとダビデの人生からみんなで考えました。

モールでお花🌸やチョウチョ🦋の指輪を作りました。手先が器用になってきたなあと感心しました。


礼拝はローマ書12章より「賜物に応じて」と題してメッセージ。


❶慎み深さをもって

パウロは2節において「心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば神の御心は何か、何が良いことで神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになる」と語りました。イエスキリストによる救いが与えられた時に、自分が変えられる、それは、私たちの実際の生活にも変化が与えられてゆくことであり、他者との関係にもたらされてゆくものであると語られました。その時に自分というものをどう捉えるか。パウロは「思うべき限度を超えて、思い上がってはならない」と伝えています。


アダムとエバのことが語られました。


創世記を読みますと、彼らは、ヘビから「この実を食べたら神様のようになれる」と言われ、誘惑されてそれに乗ってしまいました。ヘビは人間の持つ「高ぶりやすい心」に働いてきたのです。ここ数年、何か特異な才能を持つ人に向かって「〇〇の神」「神ってる」という言葉を使っているのを耳にすることがあります。被造物にすぎない存在の者が、どうして造り主であられる神と肩を並べるようなことがあるのか。表現一つにも浅はかな人間の思い上がりやすい心を思わされます。


パウロは「むしろ神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。」と言っています。

「慎み深く」という言葉の元々の意味は、自分を全面に出さず控えめにしていなさいという意味でなく、「健全な思いのなかで」という意味なのだと語られました。

イエス様に救われた者として、イエス様との関係において「健全」と言える思いをもって生きよということなのだと。一人一人には賜物が与えられており、それをよく理解してお互いに仕え合うことが慎み深いということだとパウロは4節以降で語っています。


賜物は、私たちが願ったから与えられたというものでなく、神様がそのご意志のなかでそれぞれに与えてくださったものであり、それは自慢するために用いるのでなく、人に仕え、建て上げるために与えられてゆくものなのだと語られました。

賜物を恵みとして理解する時に、正しくそれを用いることができるようになるのです。


❷賜物は自分を誇らせるものでなく仕えあうために与えられたものである。


パウロは私たち教会がキリストにあって一つの体であり、一人一人は、その体を構成する器官なのだと語っています。一つ一つの器官は他の器官のために存在し、連携されて体がまわる。一つ一つが非常に大切なのだと、そして人の目から見て劣っているようなものこそむしろ大切であり、あってもなくてもいいものはないのだと語るのです。


頭脳や目や耳。内臓や手足。主要といわれる部分だけでなく足の爪から肌を覆う毛まで。

全てがそれぞれの役割を全うして、主の体を構成していることを思わされるのです。

年を取ったから、体が弱いから、もう私には何もできない・・・と嘆くことなく、神様の前に一番尊い仕事は「祈りである」と語られました。


教会にとって、一番尊い仕事は「祈り」。祈りがなければキリストの体であるこの教会は成長することがないのです。神の前に自分を空しくして、神を恐れ、生き生きと働かれる神ご自身が豊かに祝福し導いてくださるように、群れが主に従ってゆくことができるようにと、主の前に立ち、頭を垂れて祈ることは最上の働きであるのだと。

だから、もし体力や能力が奪われてしまったと思える状態であったとしても、祈りを通して私たちは神のみわざに大胆に参加できるということを忘れてはならない。


❸自分の賜物を知り、用いましょう。


6〜8節において賜物がいくつか書かれています。


●預言の賜物・・・将来のことを予言するのでなく、神のみことばを預かり説教する牧師の働き。

●奉仕する賜物・・貧困者や病人を助けたりと捉えられがちですが、実は宣教の働きを助ける賜物のことであり、一人でするとうまくいかないけれども、指導者の下で働くと持ち前の能力を発揮してゆく人々。スタッフ、助け手。

●教える賜物・・・聖書が言っていることを教え、聞く人に理解を与えてゆく賜物。

●勧めの賜物・・・慰め、励ます賜物。試練・苦しみにあっている人の傍に立ち励ましてゆく。この人々によって試練にある人々は元気をもらうことができる。

●分け与える賜物・・自分の財を喜んで献げる賜物。マザーテレサなどを思い出します。信仰がなければ神に献げることはできない。神様が言われたからと自らを捧げてゆく賜物。

●指導する賜物・・・人々を霊的に見守る賜物でダビデのような人です。彼の元で、平凡な人でも、優秀な人材に変えられていきました。ダビデの元に集まった400人の人々は「ならず者」と言われた人々でした。しかし彼らは大国を支える優れた人材へと変えられて行きました。

●慈善を行う賜物・・憐れみの賜物。苦しみにある他の人の身になって、自分も共に苦しみを負い、面倒をみる姿勢を持つ人々です。


全ての人には最低2つ以上の賜物が与えられていると言われています。

主の教会を建て上げてゆくために、自分の賜物を理解し、慎み深くそれを用いていくこと。

主の声に応答してゆく者とされたいと思います。


「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

何よりもまず、互いに熱心に愛しあいなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。

それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。第一ペテロ4章7〜10」   聖書




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