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津村俊夫師*イザヤ書55章6〜13節

更新日:2023年4月17日


至る所で桜が満開となり多種の花が咲き乱れ、花園にいるような気持ちの季節です。礼拝には北海道から見えられた方もおられて、二宮の気候と明るさに心弾ませておられ溢れる笑顔も美しく。

4月に進級する子どもたちのために祝福のお祈りの時も持ちました。お休みのお友達の上にも神様の祝福がありますように!


羽村の聖書宣教会より津村俊夫先生をお迎えして「聖書信仰に生きる」と題してみことばとお証を語っていただきました。


「聖書は読むべき本ではありません。学ぶべき本です。」と、まず語られました。

「聖書は読み方が大切である」と。一般の本は読者が楽しく読めればそれで良いのです。しかし聖書は自分が恵まれたところを読めばそれなりに恵まれるけれども、「もう、分かった」とはならない。学べば学ぶほど、まだまだわからないと実感するのが聖書であり、神様が伝えたいことを期待して読んで行くということが大切である、理解や期待を「読み込む」のでなく、メッセージを「読み出す」(神学校ではこれを「釈義」という)、そして「書かれていることを越えない」ということが非常に重要である。そのように語られました。


みことばはイザヤ書55章6〜13節より。

9節には「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」

11節には「わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」とあります。

神様がお考えになる事、行われる事の全てがハーモニーをもって記されています。

人が考えること、人が思ったこと、人が語ったことと現実はちぐはぐであったり、不安定なものですが、神様の道、神様の思い、神様の言葉は必ず現実に成就し、確実であり真実であることを、三位一体の神ご自身が身を乗り出すようにして語っておられるのだ、と語られました。

父なる神様の御思い、子なるイエス様の言葉、聖霊のみわざ。


創世記には「光よ、あれ」と言葉一つで神様が光を造られ、天地を創造していかれたことが記されています。

津村先生が最近気づき、改めて感動したことは、マタイ8章のツァラアトに冒された人へのイエス様の言葉であると語られました。

8章3節にこのようにあります。

「イエスは手を伸ばして彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ』と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。」

ここで、イエス様は「おことば一つ」でツァラアトに冒された人をすぐに癒し、きよめられたのでした。この時、神の御心が形にされたのであり、キリストが神でなければこういうことは起こらなかったのだと語られました。

イエス様は、マタイ24章35節で「天地は消え去ります。しかし、わたしの言葉は決して消え去ることがありません。」と言われています。


歴史を見るときに、今から約4000年前、神様がアブラハムに約束された言葉が成就され、さらに、今から3000年前神様がダビデに語られた約束も成就しました。そして2000年前に約束されていたキリストの誕生と十字架・そして復活全てが成就されました。


神様のみことばと約束は必ず成就するということ。

そしてまだ成就されていない約束は一つ。「もう一度主イエス様が来られる」ということ。


今私たちが生かされている時代は何が起こるのか想定できない時代にさしかかっているのだと語られました。これから2〜3年にも何が起こるのか。

国際情勢は厳しくなり、国と国の対立がますます深まる一方で、自然災害や環境破壊が進み、世界の1%の大富豪が富を独占する、そんな世界。人工知能が幅を利かせて人間の誠実な知的なものを嘲笑うかのような情報社会にあって「聖書信仰に生きる」とは、一体どういうことなのだろうか。

それは私たちが「何かをする」のではなく、神様のみ前に自分自身を差し出し、みわざをなして下さる神様に期待しお任せすることなのだ、と。

何かをするのでなく、何かをさせていただく。神様の恵みのみ力に頼り、神様のみわざに携わらせていただく人生。

そこに私たちの存在の意味がある。そして、ここに、この現実に生き働いてくださっている神様を見あげていくということ。

「聖書信仰に生きる」ということは、「聖書は誤りなき神の言葉であるという確信」と同時に、この「福音に生かされる」ということ。全てが相対主義で片付けられ、なんでもありの時代。倫理基準が破綻し、何が正しいことで何が間違っているのかわからないような、しかも何が起こるかわからないような不確定・不安定な時代。


しかし、そのような時代にあっても、創造主であられ真実な永遠に変わることのない真理であられる神様に頼り、そこに生かされる時に私たちは確かな平安と喜びが与えられる。

「天地は消え去る、しかしわたしの言葉は消え去ることはない」と言われる神様に信頼して生かされる者でありたいと、そのように語られました。


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奥様のスーザン先生も共にいらしてくださりお交わりのひととき感謝です。スーザン先生は三浦綾子さんの「細川ガラシャ夫人」を英訳されました。翻訳される中での発見をお聞きしたことも感謝でした。日本の歴史に詳しく茶道も嗜んでおられて、お出ししたお抹茶の茶碗に描かれていた徳川家の家紋にも気づかれ・・・☺️

津村先生からウガリット語にまつわるお話も聞かせていただき深く楽しいお交わりに心から感謝いたします。


先生の歩まれてきたお証を聞きつつ、従い行く者に万事を益として御心を完全に行われる主の御名を崇めました。励まされ教えられたことに感謝しつつみことばを握り今週もみことばに聞き歩む一歩一歩とされたいです。


「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」第二コリント12章9節 聖書



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