箴言5章15節から23節より
箴言の学びが続いています。
この箇所は、先週と同じ章の後半ですが、夫婦間の貞操観のみならず、神の奥義が語られていることを学びました。
Today's English Version の訳では「あなた自身の妻に真実を尽くし、あなたの愛を彼女だけに語れ、注げ」とあるそうです。神の定められた結婚観と共に、神と人との生きた真実な交わりについて、関係について語られていることを覚えたいと思います。
15節に「あなた自身の水溜めから、水を飲め」とありますが
この「飲む」という言葉が、旧約聖書に初めて出てくるのはノアの記述だそうで、ノアが箱舟から出て、ぶどう酒を飲み、裸で酔い潰れてしまったというところに、この「飲む」という言葉があります。
次に、アブラハムがイサクの花嫁を探すために、年長のしもべを使わしますが、そのしもべが、のちに花嫁となるリベカに「水を飲ませてください」とお願いしたときの「飲む」という言葉が出ており
さらに、面白いことに、
新約聖書において、イエス様がサマリヤの女にヤコブの井戸で「わたしに水を飲ませてください。」と
言われたことがあげられました。
ヨハネ4章にその記述があります。
イエス様は、このサマリヤの女に「この水を飲む者は乾く。しかしわたしが与える水を飲む者はいつまでも決して決して乾くことがない。わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命への水が湧き出る。」と言われたのです。イエス様はこのサマリヤの女が五人の男と結婚しては離婚し、そして今住んでいる男は同棲している相手で夫ではないことを、言い当てられました。
イエス様は、幸せになりたいと飢え渇きを持っているこの女のもとに、遠回りまでして、霊の夫として神の愛をこの女に注ぐためにやってきてくださったことを、改めて覚えました。
申命記6章に
「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なる神を愛せよ。」というみことばがあります。
これが新しい訳では、「思いを尽くし」が「命を尽くし」に訳されています。
私たちの神様は真実なる主。他の神々、偶像となるものに、私たちが心を向けるなら嫉妬されるお方です。神様は私たち人間が弱くうつろいやすい存在であることをよくご存知で、私たちの弱さゆえに離れて行っても、神様と一つとされてゆくために、なお誠実に向き合い、引き寄せてくださろうとする深い愛を持っておられる方です。
「神様と私の関係」と共に、「夫婦の関係」についてもまた考えさせられ学ばされる章でした。
人の道は主の御目の前にあり、主はその道筋の全てに心を向けてくださる。箴言5章21節
今週の後半も温かい主の目の中にありシャローム!平安がありますように!
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