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「じっくりゆっくり黙示録8講解説教」〜❺番目の教会✴︎サルディスにある教会へ✴︎ヨハネの黙示録3章1〜6節

更新日:2023年12月4日



歩いていたら、柿を必死にくちばしにはさんで飛び立つカラス🐦‍⬛によく遭遇するようになりました。あちらもこちらも立派な柿の実がたわわになっており、高いところの実は専らカラスたちの食糧になっているのでしょうか・・・暖かい日は続いたけれど、少しずつ秋も深まり紅葉狩り🍁へと緩やかに季節が移って行きます。


さて、日曜日は「目を覚まし悔い改めなさい」と題して黙示録3章よりメッセージ。

イエス様がヨハネを通して七つの教会へ手紙を出されました。そのうちの五番目がサルディス教会です。

地図を見て場所を確認しました。

前回のティアティラから南東に50km下った場所にある町です。かつてリディア王国、新バビロニア王国、メディア王国、エジプト王国と四つの国がありましたが、ここはリディア王国の首都であったところなのだと語られました。


このサルディスの町に住む人々は、この時は町がもう衰退していたにも関わらず「ここは昔は都だったのだ」と中心地・首都であったことのプライドに満ちており、誇り高い人々であったのだと、また教会内においてもそうだったのだと語られました。

❶サルディス教会への評判とイエス様の評価


サルディス教会と他の教会との違いは、これまで学んできた四つの教会への手紙には

最初にイエス様がその教会の持っている良いところを褒めてくださったのに対し、

ここには褒め言葉が一つもないということを見るのです。

1節で、厳しいお言葉です。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」そう言われているのです。

「実は死んでいる」イエス様は唐突にそのように言われたのです。

「名ばかり」の名とは名声だったり評判だったりします。

つまり、サルディスの教会は周辺一体の教会からも非常に高い評価を得ており、外から見れば立派で、名声のある教会だったことがわかります。

教会の中にいる人々も、それを自負していたのでしょう。この教会を訪れる人も、周りの人も口を揃えて教会を誉めていたことでしょう。


サルディス教会には、これまでの四つの教会が直面していた皇帝礼拝ー偶像礼拝によることの迫害などの外側への戦いや、それらのことへの妥協や堕落による教会の腐敗などの内側の問題への指摘がありません。

この教会にだけはそのような影響がなかったのでしょうか?いいえ。他の教会と同様同じ時代に生きた教会としてそのような問題の真ん中に置かれていたはずでした。

ところが、問題は、この教会がイエス様に「目を覚ましなさい」と言われるように、眠っていた教会であったところにあったのです。


他の教会は大なり小なり、そのような問題を持ちながらそこに「戦い」があり、それを真剣に受けとめ必死に戦う姿があったのですが、サルディス教会はどうであったかと言うと、どんなにかき回す人がいようと、平和な教会であることを望み、人々は真実を求めることをせずに何もしようとせず霊的には眠りこけていたのです。

争いがないと言うことは「生きていない」と言うことなのだと語られました。

ある先生が「聖霊が教会に働くときに、そこに必ず争いが起こる。」と言われたのだそうです。一見驚きます。しかし、聖書を注意深く読むときに聖霊行伝とも言われる使徒行伝においても、聖霊が働かれるところに、常に戦いがあり、神様に忠実に従おうとするところに、迫害が高まっていったことを見るのです。


サルディス教会が死んでしまっていると言われたのは、すっかり、神に抗う力に迎合し、神様の与えてくださる真理に目を向けようともせず、ほっといていた。それはまるで、真っ白な綺麗な服を着せていただいたのに、それが汚れても気にせず、さらに汚れてもそのままで平気でいた状態だったのだと語られました。

それはイエス様から見たら、眠っているのを越えて「死んでしまっている」教会だったのです。



❷イエス様は生かそうとしてくださっている。



さてイエス様は、そんな教会を「あーあ」と落胆して見捨てることなく、生かそうとしてくださっているのだと語られました。

教会が生き返るためにはしなければならないことが5つあるのだと。

一つ目は「目を覚ますこと」心おごらず、いつも注意して備えているべきこと

二つ目は「力づけなさい」燃えた炭が消えないように燃えるものを加え空気を送って励ます

三つ目は「思い出しなさい」神様がどのように救ってくださったかを思い出しそこに立つ事

四つ目は「堅く守りなさい」救いを頂いた後、それを失わないように努力すること。

 パウロは自分が語っておきながら失格者とならないように、と記しました。

五つ目は「悔い改めなさい」死んだ状態を続けるのでなく、方向転換すると言うこと。

私たちの信仰生活は「悔い改める人生」なのだと言うこと。神の子としての生き方をしてゆきたいという積極的な主への思い。


❸イエス様の約束にあずかる者になりましょう。


「悔い改めよ」と言われたイエス様ですが、4〜5節でこのように言われています。

「わずかだが、その衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩む。彼らがそれに相応しい者たちだからである。勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。」


わずかと言う言葉を聞くときそれが5人なのか10人なのか。それはわかりません。しかしこの教会の中に「わずか」だけれども、イエス様の(霊的な)視点で生きていた人がいたのです。彼らは「衣を汚さなかったのだ」とイエス様は言われました。その他大勢いの人々はこの教会において死んでいたと言われた中で、そのわずかな人々は、生きており、彼らは白い衣を着て、イエス様と共に歩むのだとイエス様は言われたのです。

では、「生きている者」と「死んでいる者」との違いはなんだったのでしょうか。


第一ヨハネ1章9節にはこのようにあります。

「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちを全ての不義からきよめてくださいます。」

これが「生きている者」の証拠だったのだと語られました。

つまり「わずか」と言われた人々は、自分の内側を見て、神様に赦しをこい、悔い改めていたのです。彼らは常に、自分の内側の弱さを、罪を犯している、またそのような罪に向き合えない弱さを赦して下さいと悔い改める人々でした。

イエス様はそのような人々に白い衣を着せてくださると約束されたのです。


イエス様が用意してくださる白い衣は汚れがつかず、それを着るに相応しい者となって欲しいのだとイエス様は言われるのです。

白い衣は死んだ者には着せることができない。生きている者にしか着せることができない。私たちは耳ある者としてこのイエス様の言葉を聞くだろうか。

天で私はその白い衣を着せていただけるのか?

主が与えてくださる救いを保ち、悔い改めを持って、主に従い続ける者でありたい。

やがて「善かつ忠なるしもべよ。よくやった」と白い衣を着せていただけるように

整えられたいと思わされたことでした。


「自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。ヨハネの黙示録22章14節  聖書」

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