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【ヨハネの黙示録】講解説教7「4番目の教会ティアティラにある教会へ」✴︎ヨハネの黙示録2章18〜29節

更新日:8月26日



曇り空の中待ちに待った秋のお楽しみ会を開催しました♡賛美し、牧先生からお話をきき、ゲームは震源地ゲームで大笑い。割り箸でパチンコ製作、射的タイム。好きな駄菓子を目掛けて真剣勝負。棒パンも皆で楽しく手作りしてBBQタイム。肌寒くなってきたはずなのにずっとかけっこで「暑い!暑い!」と最後はランニングシャツになって走る子どもたち😆楽しい一日でしたね🙌


礼拝のメッセージは「堅く保つ者」と題して黙示録2章より。

エペソの教会については以前説教した箇所ということで今回は二つ目のスミルナ教会への手紙から講解されたので、今日のティアティラの教会は四つ目の教会となります。

位置は地図を見ましたが、先週のペルガモンの教会から南へ約60㎞と説明されました。



使徒の16章24節にリディアという女性が出てきます。彼女はティアティラの紫布の商人だったとここに書かれています。「布」でなく「紫布」とあるのは、当時紫🟣布は、誰でもが手に入れることのできなかった高貴な色の布であったのですね。そして彼女の出身地であったティアティラ市は工業・商業の栄えた町でありました。羊毛・染色・革細工・陶器・銅細工など・・・有名だったのだと語られました。

ティアティラの教会はそんな都市に建てられた教会であったのです。


❶イゼベルに支配されてしまった教会


19節でイエス様はこのティアティラの教会に向かって、称賛の言葉を送られています。

「あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている」と。

霊であられる方を私たち人間は見ることができません。しかし、神様の方からは私たちは鮮明に的確に見ることができ、その神様が「わたしはあなたをちゃんと見ている」と言ってくださるのです。

ティアティラの教会へのイエス様の賛辞が素晴らしいと思うのは、

「あなたの行いは初めの頃よりまさっている」と言われた点だと語られました。

確かに、エペソの教会などは、初めは良かったけれども、今はその状態から落ちてしまったとイエス様に非難されてしまいましたから、信仰が前進し成長しているとイエス様から評価される教会は素晴らしいのだと思いました。

神様に捧げる奉仕・全てが、より熱いものになっている、ということです。


ところが20節で一転します。

それは、そんな素晴らしいティアティラの教会なのに、その教会にいた中心的な「イゼベル」と呼ばれた女性によって支配されてしまっている、彼女によって教会はなすがままにされている!とイエス様は非難されたのです。

この「イゼベル」は列王記に出てくる「イゼベル」のような女性ということです。

列王記のイゼベルは、異教徒シドン人の女性でしたが、政治的な理由からイスラエルの王の妻となりました。そしてイスラエルの民に非常に悪い影響を与えた悪妻となったのです。


イスラエルは唯一の神を礼拝する民でした。ところが周辺のパレスチナ人たちは、多くの偶像をもち、その中でも有名な豊穣の偶像神バアルは熱心に崇拝されていました。イスラエルが周辺諸国と政治的平和を保つためにこの結婚があったのですが、イゼベルはイスラエルにこのバアルの偶像を持ち込み、多くのバアルの預言者たちを連れてきて、イスラエルの預言者たちを迫害したのです。アハブはこの妻を抑えることができず、非常に強い女性であったことが聖書を読むとわかります。預言者エリヤもこの異教の偶像との戦いに勝ったにも関わらず、「明日のこの時までにお前を殺していなかったら私が罰せられるように!」という激しいイゼベルの言葉に恐れ山に逃げてしまう程でした。


このイゼベルに例えられたような女性がティアティラ教会にもいて、彼女は、主の教会を混乱に導いていたのです。彼女は教会の活動の中心にいて、彼女の主張に賛同する人々が同調し、教会はかき回されました。

当時は、商業・工業の町であったティアティラには、職業別の同業者のギルドと呼ばれる「組合」が多々あり、そこに属さなければ、孤立してしまい商売をして生きていくことができなかったと語られました。そしてそれぞれの組合には守護神がいたのだと。


よって、組合に加われば、それぞれの祭りや会合に参加し、そこで異教の偶像への礼拝やそこで捧げた食料を飲み食いし、その集まりにおいて淫らなことが行われていたというのです。この組合にどうやって関わるかが生活に直結していましたが、この「イゼベル」なる女性は「そんなの問題ない」と「積極的にやり繁栄をもたらすべき」と偶像に捧げるということも形だけ合わせたらいいのだと、主張したのです。

彼女に同意し「強い信仰を持っているんだから、大丈夫。そうでもしないとこの町で生きていけない!」と賛同、従う人々が多くいました。

愛と信仰・奉仕に熱心で忍耐力があったのに、「イゼベル」なる女性に「NO!」と言えず、賛同していた人々。

「そこにあなたの問題があるのだ」とイエス様が言われているのです。間違っていることを間違っていると言えず、人を恐れて神を恐れない姿のどこに、主の教会の聖さ・義があるかとイエス様が投げかけておられるのです。


❷ティアティラ教会の残りの者たち


イエス様は各教会へのメッセージの一番初めに必ずご自身のお姿について述べてから送られているのですが、ティアティラの教会への言葉の最初にはこう書かれています。

「燃える炎のような目を持ち、

その足は光り輝く真鍮のような神の子がこう言われる」

燃える炎のような目ーそれは「全てを見通す目」罪を見逃さず、それを焼き尽くされるイエス様の正しさ。

光り輝く真鍮のような足ーそれは力強く、敵を踏み砕く裁き主という意味です。


私たちは、信仰を持っている者でも、罪をなあなあに大目に見て、神様もきっとこれは許してくれるだろうと勝手に自分に良い解釈をしがちです。しかし、神様は神様の義で、全てを見通される目で私たちを裁かれるということを決して忘れてはならないのだいうこと。


イゼベルにもイエス様は悔い改める機会を与えられたのです。(2章21節)しかし、彼女は悔い改める様子もなかった。イエス様は彼女に対して「病の床に投げ込む」とはっきりと書かれました。同じように彼女に同調した人々に向かっても「悔い改めないなら、大きな患難の中に投げ込む」と言われたのです。22節の「この女と姦淫を行う者」と23節の「この女の子どもたち」というのは同じ意味で「彼女に従った人々」のことです。


イエスさまは「こうして全ての教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知る。

わたしは、あなた方の行いに応じて一人一人に報いる」(23節)とはっきりと語られています。

「今は何も起こっていないし。・・・」と私たちは思いがちです。私たちは、そうやって神の裁きに向かって、自分の罪を重ねていっているということ、そして裁きの座でそれを精算するときがくるということを覚えなくてはならないのです。

「今裁かれていないし、私の人生にマイナスなことが起きているわけでもないし大丈夫。」とは言えないのだということ。やがて裁きを受けるときが必ずくる。


24節では「この教えを受け入れず、『サタンの深み』を知らないあなた方に、他の重荷を負わせない。」とイエス様が言われています。イゼベルのような女性のいうことに聞き従わず同調しなかった人々。自分たちは彼女の深みに入らず、自分たちの信仰にしっかりと立とうとした、そのような人々。イエス様は「サタンの深み」を知る必要などない。ただしっかりとイエス様の与えてくださる信仰に立ちなさい、と励ましておられるのです。


❸イエスに従う者への祝福


25節にはイエス様の力強い私たちへのメッセージがあります。

「ただ、あなたがたが持っているものを、わたしが行くまでしっかり保ちなさい」

と。そのような勝利を得る人々に、イエス様は二つのものを与えると言われました。

一つは「諸国の民を支配する権威」

二つ目は「明けの明星」。

それはイエス様ご自身のことであり、イエス様と共に永遠の命を持って交わり生きることです。

正しい裁きをなさる神様が、私たちをいつも導き、一人一人を聖い者へと召しだし、成長させてくださることを覚えつつ、忍耐を持って走り続けるものとされたいです。


「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。ローマ12章2節   聖書」



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