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「本当の友達」・・・*第一サムエル記20章

更新日:2022年6月29日


冷たい雨の一日。今日は先週の進級式に間に合わなかったお友達もお祝いできて感謝感謝!新たな一年に期待する4月の始まりです。


さてみことばは、第一サムエル記より「真実な契約」と題してメッセージ。

サウルに捕まる難を逃れたダビデは、ラマからヨナタンの元に向かいました。そしてヨナタンに対して、サウルに殺意があるのか、その真偽を確かめてほしいと懇願するのです。


❶改めてダビデと契約を結んだヨナタン。

2節から23節まで、ヨナタンとダビデのやりとりが記されています。サウルは19章でヨナタンがダビデのことを弁護し、自分との仲介に入ったことを通しても、二人の間に深い信頼関係があることに気づいたでしょう。ヨナタンには目論みを告げないようにしてことを運ぶように企てていたかもしれません。ヨナタンの動きは、へたをするとダビデの身に危険を招くことにもなりかねませんでした。ヨナタンは確認することを約束し、その伝達方法までダビデに伝えます。


ダビデは、決して自分は聖人君主ではないけれども神を恐れ、神と共に歩む中で潔白があったからこそ、ヨナタンに「真実を尽くしてください。主に誓ってしもべと契約を結んでくださったのですから。もし私に咎があれば、あなたが私を殺してください。」(8節)といいます。


ところが読み進めてゆくうちに、12節でヨナタンの返答において、この「懇願」が入れ替わっていることに気づくと語られました。

ダビデがヨナタンに懇願している言葉に対して、なんとヨナタンがダビデに、先の未来における子孫ついて懇願しているのです。


つまり、ヨナタンという人は、信仰による先見の明がある人であったということです。

これから、ダビデが逃げ切った後どうなるか。ダビデがやがて王となる。そのことをしっかりと見据えていたのです。その時に私の家系を守ってほしい、と。


世界でも日本でも、歴史の中で、私たちは権力者が力によって権力を奪った時に、常にそれを奪われないか心配し復讐を恐れ、前の権力者の一族を一掃するということを見ます。

ヨナタンは「もしあなたが王位に就いても私の家系を絶たないでください。」とダビデに願い、この契約をダビデは主にあって守り抜きました。後に(第二サムエル記9章)王となったダビデがいいます。「サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンゆえに、その人に、真実を尽くしたい。」と。ヨナタンの息子で足の不自由なメヒィボシェテが連れてこられて、その後、ダビデはヨナタンとの契約を守り、彼にサウルの地所の全てを返し、共に食卓を囲んで食事をすることを約束するのです。


ヨナタンは、ダビデのとの会話の最後23節で「私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたの間の永遠の証人です。」と言っています。

ダビデとヨナタンが、神を恐れ、神の前に誓ったその言葉・契約を大切にし、信仰によって行動している姿に深く教えられます。

「私が契約を破ったら、神から罰を受けるのだ」と。情ではなく、神の前に誓って命をかけてゆく姿を見るのです。


❷神の御心の側に付きましょう。

ヨナタンは、新月祭において、欠席したダビデに対して父サウルが怒り狂い、槍をヨナタンに投げつけて撃ち殺そうとしたことで、父サウル王がダビデを殺そうとしていることに気づきます。(33節)

34節を読むと、「ヨナタンは怒りに燃えて食卓から立ち上がり」とあり、彼が食事を取らなかったのは、「父がダビデを侮辱したので、ダビデのために悲しんだからである。」と書かれています。


ヨナタンとダビデは深く心繋がっていた。一つ心とされていたということ。ヨナタンは常にダビデの側に立った人でした。どんなに自分に危険が迫っても(33節)彼はダビデの側につき続けたのです。

父に殺されそうになったこと以上に、信仰による友が辱めを受けた時に、自分の事のように思い悲しむ姿ー。ヨナタンが神のしもべの側について、支援するということは、神がその人を支援することにつながるのだと語られました。


民主主義の社会の中で、大抵の場合、ことは多数決で決められてゆきます。教会の中においてもです。しかし、そこに人の思惑があったり、人の意見に左右されて、結局それが神の決められたことかと問われるとそう言い切れない事もあります。神の御心を真剣に求め、何が神の望まれることであり御心なのかを、「皆が」ではなく、「神が」願われるからそこに私は立つのだという信仰が求められ、またそこに立つときに教会も祝福を受けていくのではと語られました。


ヨナタンはこの後大きな試練を通らされていきます。しかしダビデの側についたものとして後の者が祝福を受けたのです。


❸神の名によって契約を交わす事の意味。

ヨナタンは父がダビデを殺そうとしていることを、野原に出て予め伝えていた方法でダビデに知らせます。二人はここで抱き合って泣き、今生の別れとなります。


ヨナタンがいうのです。「安心して行ってください。私たち二人は『主が、私とあなた、また私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です。』と言って、主の御名によって誓ったのです。」(42節)

ヨナタンは決してダビデを裏切らない、と。それは彼らの子孫におけるまでの永遠の誓いであり、ダビデも、自分が王になってもヨナタンの家系を抹消しないとの約束です。

ダビデはこの約束を生涯守りました。神の前に誓うということの重みを教えられます。


また神様が私たちを裏切ることもなく、必ず、私たちとの間に結んでくださった契約を果たしてくださると語られました。第二テモテ2章13節に「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」と。


神様がキリストをこの地上に送り、キリストを救い主として信じる私たちに永遠のいのちを、神との交わりを、約束してくださったこと。私たちはいつも真実なるこの神に希望をおき、神を畏れ歩む者とされたいです!


午後は「聖書の学び」のひとときでした。

「いのちの道」というテキストを用いての学びですが、今日は「聖書について」また「神様について」聖書をたくさん開きながら学びました。みなさんと共に改めて教えられる深く良き学びのひとときです。

感謝です。


「キリストは常に真実である。」第二テモテ2章13節   聖書


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