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祝福のリーダー

最終更新: 2020年12月5日



祈祷会は箴言11章よりメッセージ。

箴言は31章あるので、我が家では、毎日その日の章を読むことを続けています。

一年で12回読むことになりますが、その日、その月により、心に示される箇所も違い、

とても教えられます。


箴言は、10章から22章までは格言集の集まりですが、その中から主の教育という観点で、今日は特に11章29節を通して学びました。

「自分の家族にわざわいをもたらす者は、風を相続し、愚か者は、心に知恵のある者のしもべとなる。」聖書が家庭について語るとき、家長の視点から語られることが多く、

それを心に留めながら、ここでは、この家長が祝福かわざわいをもたらしてしまうということを覚えたいと思います。

 

 家長とは、家だけでなく、国において、また、教会においても語られており、

例えば、国を考えたときに、思い起こすのはサウルです。彼は神によって選ばれた人でしたが、権勢をつけると、高ぶり、預言者にしか許されていなかったことを勝手にやってしまい神の怒りをかいました。彼は異邦人であるペリシテ人に勝利することができませんでしたが、神によって彼の次に起こされたダビデがペリシテ人を打ち負かし勝利を得ました。

神の御心に沿い、従った人が王として立てられるとき、イスラエルは栄華を極めました。


 やがて、ダビデ王の子ソロモン王の後、様々な王がイスラエルを治めるようになりましたが、聖書を見ると、善王と悪王が入れ替わり立ち替わり、その座に着き、悪い王が立つと国は衰退し、善い王が立つときにそれは復興されるということをくりかえしてゆくのです。

 神の御心に合う人が立てられた時、その国は祝福を受けてゆく。神の代理者として立てられている家長が主を恐れ、みことばに従うときに国も、教会も、家も、栄えて行きますが、そうでない家長の元にある時に、衰退してゆくことを覚えなければなりません。

 

 家庭においても、クリスチャンが結婚すれば祝されるとは書いておらず、主の救いを受け入れた者たちが、主を恐れ、主からの知恵をもって、祈り従い、建てあげてゆくときに祝福を受けてゆくと教えているのです。これは大事業であり、難事業であります。

 

 教会において。パウロは若いテモテに手紙を書き送っていますが、そこには監督の職につくものがどのような人であるかが記されています。

 「非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、礼儀正しく、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳を持ってこどもを従わせている人でなければなりません。自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会を世話することができるでしょうか。」第一テモテ3章2〜5節

 教会の役員として選ばれるべきリーダーは、アイディアを持っているとか、社会的名声を得た人とか、賜物が多い人、声の大きい人ではないのです。

 主の前にへりくだり、派手なものはなくても、主に忠実で、礼拝や祈祷会を大切にすることはもちろん、主に精一杯献身していく姿勢が求められてゆくのです。

 

 箴言17章6節には「孫たちは老人の冠。父祖たちは子らの栄え。」とあります。アブラハムは3代目のヤコブの祝福まで、ヨブは4代目までの祝福を見たことが聖書に記されていますが、ここに模範的な姿をみることができます。次の世代にまで祝福を継承してゆく責任が家長にはあり、それはその人に能力・賜物があるからではなく、神が祝福し知恵を授けてくださるゆえに、主のみこころを求め、忠実に従ってゆくことが大切であることを示されました。

 この世には、あらゆるリーダーシップ論や、処世術が溢れています。それによって家庭や教会、国や職場を治めようとするのではなく、主の知恵に満たされて、謙虚に従うところに

主の祝福があることを覚えたいと思います。


主を恐れることは知恵の初めである。箴言1章7節  聖書



 

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