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墓地*ヨハネ11章
更新日:2021年4月11日

今日は教会の有志の方々で教会の墓地掃除へ。
竹林の静かな場所にあります。

つる桔梗や、山吹が咲き乱れ、なんとも美しいお墓。
皆で手分けして草取りをしたり、竹取りをしたり・・・

納骨堂も綺麗に掃除しつつ、神様のくださる平安についてお互いにシェアしながら恵みのひととき。小さいちゃんも参加してくれました。最後にみんなにキャンディを「はい、どうぞ」と配ってくれました。(小さいちゃんはまだキャンディデビューしてないそうですが💦☺️ありがとう♪)
皆で感謝のお祈りをして、たけのこを分けて、解散。
気持ちの良い朝でした。
さて、今日のデボーションは、ヨハネ11章。
イエスが愛された三兄弟マルタとマリヤとラザロの箇所でした。
ラザロが病気にかかっていたときに、イエスさまはそのニュースを聞かれても、ラザロの家に向かわれず、ラザロが死んでから、ベタニアまでの約三キロの道を歩いて向かわれました。
そして泣く人々の中、墓石を取り除けるように命じられて、もう死んでから4日になりますから臭くなっているでしょうというマルタに向かって
「信じるなら神の栄光を見るとあなたに言ったではありませんか。」と言われ、「ラザロよ、出てきなさい。」とラザロを呼ばれたのです。
イエス様は、霊に憤りを覚えられた(33節)とか、再び心のうちに憤りを覚えながら(38節)とあります。
墓を前にして、この死という限界を、またそこに嘆く人々を、またその信仰を、仕方ないとはいえ、イエス様は憤りを覚えられ、そして祈られ、奇跡を行われた。
長い布で巻かれたまま出てきたラザロのことも思い浮かべます。
どんなだったでしょう・・・。
この奇跡を見たユダヤ人の多くがイエスを信じた。と45節に記されています。
神の御子イエス様が行われた一つ一つの奇跡、また愛の言葉・行いを思いながら、神様を思い、先週のイースターからもう一度、よみがえりについて思いつつ納骨堂へと向かったことでした。

会堂に戻ると、お花を抱えたお花係のT姉とばったり!器ごと重いお花を抱えてバスに乗って明日の礼拝のために届けてくださいました。春いっぱいの優しい香りのストックの花。
彩豊かに講壇に活けられ感謝❣️😍明日の礼拝が楽しみです。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。ヨハネ11章25節 」 聖書