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遠大な神*ローマ書11章25〜32節


元気よくはじまった子どもタイム!お話はローマ書9章25−29節。ローマ書9〜11章は難解な箇所と言われているそうです。礼拝メッセージで語られたみことばを教師一人一人がもう一度主の前にじっくりと噛み締めながら子どもたちへ伝えてゆこうと始めた取り組みですが思った以上に教師自身にも学びの時、子どもたちにも共に礼拝する民としての成長が見られているように思います!

講解説教によってこそ霊的な成長が与えられるのだと言います。なるほど・・と恵みを噛み締めています。



さて、礼拝のメッセージはローマ書より、「神に愛されている者」と題して語られました。

パウロがこの箇所を通して語っているのは、ユダヤ人の中からよりも、異邦人の中から救われてくる人が増えてきた中で、異邦人クリスチャンに向かって、「誇ってはならない。」「高ぶるな。」ということでした。接ぎ木された異邦人クリスチャンたちの恵みは元々の木、枝があってこそである、と。一方的な主の恵みを受けていることによるのだと。そしてここで、パウロは「神の奥義」について語るのです。

❶奥義とは何を指しているのか。

「奥義」という言葉は、ギリシャ語が語源の英語では、mystery。ミステリー小説とか、ミステリードラマと聞くときに、それは答えが分からないことが前提で、最後に意味がわかってくる、理解が難しいというイメージです。

ローマ書16章25節には「神の奥義とは代々に渡り隠されていたが、今や現されたもの。」と記されています。


J.I.Packerという牧師・神学者は「神について」という本を書かれましたが、彼は、だからといって神様というお方は深淵な方であるから理解することができないのだと言っています。時代を経る中で、隠されていたものが十分わかるように、理解できるように私たちに啓示してくださるのが神なのだと。


25節に、奥義とは何かが書かれています。

「イスラエルの一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです。」


最初はユダヤ人だけに救いが与えられた。しかし、それを彼らが受けいれないが故に、ユダヤ人の救いは今一旦ストップしており、異邦人への救いが続いている。そして神様が、救われる人数も計画されておりそれが満たされた時に、聖書が語っているのは、ユダヤ人がみな救われる時が与えられるのだということです。

イスラエルがみなというのは、「イスラエル民族」を指すのではなく、霊的な意味で救われたもの全てを指しており、「私はこの中に残された民を置いておく」と言われた神が、特別に救おうとされる人がキリストの福音を受け入れて行くのだと語られました。

これは、神のお言葉として語られている以上必ず実現されること。。。


私たち人間には、創造主であられる遠大な神のご計画を見ることなど、とてもとてもできません。それゆえに、毎日の日々のなかで、家庭や職場、学校様々な場面で、また人生の課題を前に、「どうして、こうならないの?」「なぜ、神様はこのような状況に?」と神様を責め、不平不満を並べ立てる、そのような自分を見ます。神のご計画は隠されている間はわからず、それゆえにストレスとなってしまうのです。しかし、主の計画が表される時に、霧がさっと消えてゆくように変えられるという瞬間があります。ああ、これがわかっていたら神様に不平・文句など言わなかった!と悔い改めさせられます。神様も言われることでしょう。「駄々をこね、不安でいるのはお前が知らないからだよ。分かっていたら文句を言わず感謝が湧き出てくるだろう。。」と。


全てをご存知で、私にとって最善のみを成してくださる神様が、ちゃんと聞いてくださっていると知るなら、私たちは、あれやこれやと言葉を連ねることなく、祈る言葉は一つ。

「御心が天で行われるように、地でも行われますように。」なのです。


そのように受け止めることができるような私にしてください・・と。

そのように、神を試みる者から、奥義を理解して御心に慎ましく生かされる者へと変えられてゆく。


❷神の召しは変わることがない

29節の言葉は有名な言葉です。「神の賜物と召命は、取り消されることがありません。」

私たちは不真実な存在ですが、神様は真実なお方です。神の約束は何千年経っても変わることがない。神様はご自身を否むことができず、その真実さゆえに、約束を守られる方であること。


今、私たちは、神の約束のうちに置かれており、神様は結ばれた契約を少しずつ実現されています。まず、神の子であるイエス様が、人としてお生まれになり、私たち人間の全ての罪を背負って十字架にかかってくださったこと。そしてよみがえってくださり、それを信じるものは神の民とされること。


新訳聖書には、このイエスキリストの生涯について、旧約聖書で語られることが「成就した」「成就した」と追いかけるように記されているのです。

神の約束は一つ一つ現れ、私たちに対しても、成就されるのだということ。

イザヤ54章10節には


このみことばが記されています。神の愛と約束は変わらないということ。


ユダヤ人の不従順さえも、神様はご計画の実行のために用いられ、全ての人の救いのために用いられました。私たち異邦人も主の前に誰一人として正しかったものはなく、神の愛を受けるにふさわしかったものはなく、しかし、その一人一人のために、神の怒りをキリストがお一人で引き受けてくださり、死んでよみがえってくださった。私たちが願ったからでなく、愛したからでなく、神が選んでくださって救いの恵みに預かることができた。


この恵みを覚えつつ今週も主を見上げて歩む一週間とされますように!感謝!


「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43の4

聖書


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