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謙虚・愛・自制心*箴言25章


暖かい1日でしたね。「あ〜。もう本当に春だねえ。」と子どもが思わず呟いていました☺️

可愛らしい鳥の姿をあちらこちらで見つけます。

花びら一枚一枚もしっかりと神様によって創られた、その美しい可憐な姿に心慰められます。


さて、今日の祈祷会は箴言25章から。

❶謙虚であり続けることの大切さ


私たちは、何かの役員になったり、立場を高くされる時に、高慢・高ぶりによくよく注意せねばなりません。私はよく知っている、何でも知っている、そのような錯覚に支配され、横柄にふるまう弱さがあるのです。(箴言25章6節)


たとえ、最高の権威・立場が与えられたとしても、多くを学び、多くを経験したとしても、

全てのことを知り得ることはできないのです。


ヨブは災いに会い、自らの生き様を振り返った時に、私は罪など犯していないのだと言いました。彼がサタンの策略ゆえに災いにあい、そのサタンの挑戦に対して立派な信仰告白を貫き通したことが記されていますが、(ヨブ記1章21節)

ヨブ記の主題は、この彼の信仰告白以降にあります。


それは彼が「自分は罪を犯していない。」全てをわかっているつもりになり、「私は全てを

知っている」としたその高慢な姿勢に対して、神様が問われた、ここにあるのです。


人は何かを学び、経験すると、人の上に立ってしまう愚かな態度に陥りやすく、そのような自分を高ぶらせる人は恥を見るのだと聖書は記します。


牧牧師がまだ大学生だった時に、一緒に教会で掃除をした小学2年生のお友達の話が出てきました。お友達は背が低いので椅子に乗っても高いところには届かず拭くことができない。

二人で高いところまで掃除しよう!と笑いながら話すなかで、

そのお友達は、ふと「私は低いままでいい!だって神様が高くしてくれるもん☺️」と

言ったそうです。


私たちは成長し、大人になるにつれて、多くのものを誇りやすくなるものです。

しかし聖書は言います。「誇るなら主を誇れ」と。


私のこの信仰。私のこの実績。ではない。そのようにさせてくださった主こそ素晴らしい。

この主に栄光があるようにと普段の歩みの中で、主の前に謙遜に歩むこと。しもべとして生かされていることの恵みを思いへりくだって歩むことの大切さを示されました。


❷言葉に注意する。


8節から言葉について、人との関係の中で注意すべきことが記されています。

「隣人と争っても他の人の秘密を漏らしてはならない。」

また、「時宜にかなって語られる言葉は銀の彫り物にはめられた金の林檎。」

「隣人の家に足繁く通うな。」「偽りの証言をするな」



言葉は人との関係を壊してゆくものであり、また逆に人との関係を築き上げてゆくものであるということです。


親しい中にも礼儀あり。という言葉があります。

配慮に欠ける言葉を安易に出して、人との関係を壊してしまう弱さを示されます。

主に知恵をいただき、よき関係を構築するものとされたいと考えさせられます。


❸愛の配慮


28節に、「自分の霊を制することができない人は、城壁のない、打ち破られた町」とあります。自分の感情をコントロールすることの大切さを教えられます。


私たち人間はなんと言っても、感情の生き物であり、感情に身を委ねてしまうと、それは爆発をも招きます。


この28節の「制する」という言葉は原文ではここにしか出てこない特別な言葉だそうです。

王や人の上に立つ人は、自分の心をコントールしていくことが求められているのです。


かつて牧牧師が神学生のころ、舟喜信先生は授業でよくこんなことを言われたそうです。

「教会に行ったら、なんでも起こるよ。何が起こっても動じないこと」と。


人と接する時に、感情において整えられていなければ、すぐにその感情が出てきて爆発する、そんな場面に出くわします。自分の思い通りにならなければ、自分の意見がかなわなければ爆発する、そのようなわがままを許すことは決して主の教会とはいえず、一人一人は自分のことを制して人と接するということに心を留めていくことがとても重要であること。


オンヌリ教会のハ•ヨンジョ先生の言葉が語られました。

先生は晩年、癌に冒されとても大きな試練のなかを通っておられました。しかし、いつも講壇に立つと、ニコニコされていたというのです。

どんなに辛くても、講壇に上がった瞬間に笑顔で語られる。

そのハ先生が言われたのは「笑う訓練をしなさい。あなたがどこにいても、顔を曇らせたりせずに、いつもあなたが平安である証をするのです。」と。


自分をコントロールすることの大切さ。それはまさに「愛の配慮」によってであること。


そして、聖書のみことばが語られました。

「あなたがたは互いに愛し合いなさい。尊敬しあいなさい。お互いを自分よりも偉いと思って愛しなさい。」と。


互いに非難し合うのではない、赦しあい、愛し合う。

不平不満をいつも口に出していないか、よく自分を吟味する。

そして主の前に取り扱っていただく。


教会はキリストの体であるというパウロの言葉も語られました。

第一コリント12章12〜27節。

私たちは互いに各器官だということ。

目が手に向かって「あなたはいらない」とはいえないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」ともいえないのです、と。

お互いに協力し、キリストにあって

花嫁として一つとされることの大切さをもう一度考えさせられたことでした。


週の後半もみことばとともに祈りつつ導かれますように。


今日は祈祷会の後、皆で会堂掃除。

小さいちゃんも、モップを持ってあちこちきれいに床を拭きふき☺️

大好きな神様の宮のお掃除は楽しいね。神様もとっても喜んでくださっていますね❣️


暖かい春。感謝しつつ・・・。



「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を妬みません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たせず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。全てを耐え、全てを信じ、全てを望み、全てを忍びます。愛は決して絶えることがありません。第一コリント13章4〜8節。」聖書


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