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竿代照夫師*ガラテヤ書5章19〜26節❷*聖会

更新日:10月29日


午後は、礼拝と同じガラテヤ書から「御霊の実」について学ぶひとときが与えられました。感謝します。


19節から21節まで、神様から離れた人間の肉のわざとして多くの罪が羅列されており、

読むだけで暗い気持ちになる言葉がたくさん出てきます。

性的不道徳として「淫らな行い」「汚れ」「好色」

間違った宗教として人や物を拝み慕う「偶像礼拝」

占いなどの「魔術」

自分と異なる人への「敵意」「争い」「そねみ」「憤り」

自分だけが正しいとするところから生まれる「党派心」「分裂」「分派」ーこれらは本当はお互いを尊敬し、特徴を理解し合わなければならないのにそれをしない

また他の人を蹴落としたいという「妬み」や

「泥酔」「遊興」、そういった類のものですーという言葉で締めくくられています。

つまり、これらは例として幾つか挙げたに過ぎないということであり

この19〜21節に挙げられている罪は、神抜きでは人はこのような状態に陥るのだという警告でもあると語られました。


肉の行い🟰神抜きの人間性 なのです。


そして驚くことに、このガラテヤ人への手紙という書簡は、クリスチャンに宛てた手紙であり、神の助けなしにはこのように陥ってしまうのだというパウロの忠告でもあるのです。


ガラテヤの教会において、「人は神を信じる信仰によってのみ救われるのだ」という教えに「いや。律法を厳しく守らなければ救われないのだ!」という律法主義のユダヤ人たちが対立し混乱が生じましたが、パウロはそのような律法主義(人の力でやろう!)と、上記のような人の欲の思いのままによるデタラメな生活は、実は二つとも同じ根っこ「人間中心主義」によるものなのだと語るのです。


つまり相反するようでいて二つとも、人間の力でやろうとしているに過ぎないということなのです。


これら「人間中心主義」と正反対なのが22節から出てくる麗しいキリスト者が自然に結ぶ「御霊の実」です。

それは頑張ることなく、御霊に結ばれているがゆえに自然に実ってゆく豊かな実なのです。


19〜21節にある肉の行いは複数形で書かれています。Fruits (果物いっぱい)

それに対して、

22〜23節の御霊の行いは単数形で書かれているのです。Fruit(たとえば一房のぶどうの実のように)


聖霊によるところの実は、全てが「愛というものに根ざしている」と語られました。

・喜び、平安ー愛に憩い

・寛容ー愛によって持ち堪える

・親切ー愛を持って分かち合い

・善意ー愛による心、完全な心

・誠実ー愛を持って習慣となり、信じる心

・柔和ー愛による心

・自制ー責任感の伴う愛


また次のようにも言えます、と。


・愛ー憎しみの反対。自分を与える・神に全てを捧げることを喜ぶ・隣人を、己を愛する愛

・喜びー悲しみの反対。逆境にあってもどんな厳しい中にあっても主がわかってくださっている、それゆえに晴れやかな気質をもち、決して痩せ我慢で喜ぶのではないということ。

 たとえばパウロとシラスは福音を宣べ伝えたが故に投獄されましたが、彼らは牢の中で神を喜び賛美していた。鎖が解き放たれることを知っていたから喜んで賛美したのではない。

苦しみの中にあっても、神様の中にあることを喜び感謝していた

・平安ー思い煩いの反対。困難な中でも、神との平和のうちにある安らぎがあり、神が与えてくださる和解を結ぶことができた平安

・寛容ー短気の反対。ギリシャ語では「長い心」と訳される。悩みがあっても神は最終的に良きにしてくださるという信頼を持って、物事を温かい心で見る忍耐強い人。

・善意ーイエス様の恵みによって与えられる心。聖霊の感化による。

・誠実ー疑いの反対。真実さ。報われないことに対しても。

・柔和ー暴虐の反対。軟弱でなく、しっかりと芯のある中で。

・自制ー自分の体を神の宮として自覚しへりくだった節制。


そして、私たちはイエス様の中にこれらの9つの実を見るのです。


愛ー敵を愛し

喜びー聖霊にある喜び

平安ー嵐の中でも眠っておられた全能の主の中に完全に安らいでおられた

寛容ー十字架の道、嘲りの中を歩まれ

親切ー病の人をいつも気にかけ癒され

善意ー自分を打つ兵士を赦して祈り

誠実ーラザロの復活において神を信じ祈られた

柔和ー心低く人々の足を洗われた

自制ー疲れきっていても翌朝には早く起きて祈られていた姿


御霊の実は、御霊にくっついて御霊に従ってより頼むと「自然に」実っていく実なのだと語られました。ぶどう🍇の枝が木にしっかりとつながっているときに、気がついたらなっていた、それと同じなのだと。


竿代先生のお庭にはたくさんの実のなる木が植えられているそうです。柿の木やぶどうの木・・・他にもいろんな種類の木です。

しかし「主人を喜ばせようと一生懸命汗を流して頑張っている木は、これまで見たことありません」と☺️。

「木にくっついている」〜これが大切なのです、と。

これとこれとこれを頑張ります!とスローガンを掲げて頑張るぞー!ではなく、

主に繋がって御霊に信頼し、御霊に頼って歩むこと。御霊に相談しながら歩んでゆくこと。


今回の聖会は、午前❶と午後❷の2回に渡り、ガラテヤ書から「聖め」についての大変豊かな学びでした。ただ一つ。神様にしっかりと繋がり、へりくだって共にいてくださる聖霊と共に一歩一歩、歩ませていただくこと。感謝します。


「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れてはあなたがたは何をすることもできないからです。ヨハネ15章5節」聖書

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