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神の陣*第一サムエル記17章1 〜37節


朝顔が満開です❣️緊急事態宣言に伴い、人数をさらに制限しての礼拝です。



礼拝の中でのこどもタイムでは、教会についての質問。

「映画館は何をするためにあるかな?」「教会は何のためにあるのかな?」と牧先生。

可愛い顔でニコニコお話を聞くこどもたちです。


メッセージは「生ける神の陣」と題して第一サムエル記17章よりメッセージでした。

ペリシテ人の戦士ゴリヤテにダビデが戦いを挑む箇所です。ダビデがゴリヤテに出会い、彼の信仰が人々に表されていくことを見ていきます。


❶神を見失う時



ペリシテ人たちが軍隊を招集しソコに集まり、陣を敷きました。代表選手ゴリヤテが大声でイスラエル人に向かって愚弄し叫びます。(8節〜10節)


ゴリヤテの身長は2m86cm。どれだけ巨体であったか、2mの選手の写真を見ながらメッセージを聞いていると、後ろの方から「意外と大きかったんだね!」とヒーローくんの驚く声が😁聞こえてきました。

皆で改めてこの戦士がいかに大きかったか。。。。想像したことでした。


このゴリヤテはさらに、青銅のかぶとやら、鎧をつけ、青銅の胸当ての重さは57キロ

足にも青銅のすね当て、背にも青銅の投げ槍を負い、槍の柄は機織り機の棒のようであったとありますし、槍の穂先は鉄で、6.8キロ。さらに盾持ちが彼の前を歩いていたとありますから、完全武装でスタンバイしていたわけです。


イスラエルの民はこの巨体の脅し文句・叫ぶ声に、非常に恐れ、40日間も右往左往していたとあります。


ナルニア国物語の作者でもあるCSルイスの言葉が引用されました。

イスラエルの民はなぜこんなにも恐れたのか?

それは、「彼らが生ける神から目を背けたから。」そのように語られました。


イスラエルの民のリーダーであるサウルからは、もう主の霊が去ってしまいました。

このペリシテ人とのために立てられ、王制に変わったのに、サウルが神の御心から外れ、力を失ったために、主の力はもはや与えられなくなった。


神が共におられるなら、働いてくださるなら、たとえ、逆境の中にあっても引き上げてくださる方を知っているゆえに、ここまで恐れに支配されなかったのです。

神様は「恐れるな。わたしが共にいる。」と言ってくださる方。神が私の人生にご計画を持っていてくださるなら、信じて踏み出してゆくことが求められているのです。

神が共におられたのは、ダビデやヨセフ。聖書の中に出てくる人物だけではない。

今日、すべて神を信じる者、神に従う者と共にいてくださり、良い計画のうちに、導いてくださるということ。


②神の絶妙なタイミング

40日間ゴリヤテが叫んでいた声を、この日ダビデが初めて聞きました。

彼はエッサイの八人兄弟の末っ子で、「みそっかす」と言われても仕方のない小さな存在でした。ダビデは上の三人の兄を心配する父のお使いで、戦場にきました。


それまで、家にいて、羊の世話をしていた彼は、ゴリヤテの存在も知らず、その叫び声も聞いていなかった。しかし、このタイミングで巨体代表戦士が神と神の民をそしる言葉を聞く機会を、神様はダビデの人生に用意されていたのです。


神がダビデの人生を握り、彼を召して王とされる。神の絶妙なタイミングがここにあったということ。


23節「ダビデはこれを聞いた」というところから、この17章に大きな動きが出ていることを見ます。ゴリヤテによってすっかり萎縮・硬直した状況が続いていたのに、ダビデがこの声を聞くことにより、大きく変わっていく。

人の計画でなく、神からでたダビデとゴリヤテの出会いと戦い・・・。


時に、私たちの日常生活の中にも、神のタイミングがあるということ。神様の計画によって、私の状況・周囲の状況が変わる事がある。神は無名の小さな非力な人間でさえも、ご自身の働きのために用いて人々に神の栄光・神の働きを表されるということ・・・。



③誰の声に心を留めていますか?

ゴリヤテの声を聞いて、周りの人に話を聞く様子を、長兄であるエリアブは、「生意気だ!」高飛車だと怒ります。それに対してダビデは「私が今、何をしたというのですか。一言話しただけではありませんか。」と答えています。


「生ける神の陣をそしるとは!」とダビデの心に起こされたゴリヤテに対する怒り。それは神が下さったものであるのに、兄さんにそんなふうに言われるなんて悲しい・・・ダビデはそのように思ったでしょう。そして「私が戦う!」と。これは信仰の決断であり、

もし、神がお心を示し、そこに生きるようにされているなら、誰が止め、辞めさせるのか。

その道を開いてくださるのは神ご自身であること。


神の見方と人の見方は違い、ゴリヤテの声を聞かせ、ダビデに怒りを起こさせて、この戦いにおいて勝利を与えようとされる神様を思います。

ダビデの信仰が表され、神様の御栄光が表されていったこと。


私たちも、逆境の中にあったとしても、必ずここにも神のご計画があり、そのために

私たち一人一人を用いようとされている主がおられることを知ります。

まさに、私たちは「生ける神の陣」にいるのであり、神にある共同体であることを再確認し主に礼拝を捧げられる恵みを覚え、また日々の歩みをさらに強められたいと願わされたことでした。


「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。 第一サムエル記17章37節」 聖書

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