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「神の視点」*ローマ書11章11〜15節 午後は山崎龍一氏をお迎えして・・・


礼拝はローマ書より「イスラエルの躓きと奮起」と題してメッセージ。

❶違反も失敗も用いられる神様

人生はレースに例えられます。神様によって生を受け、死までのレースなのです。

そしてただ走っていれば良いのではない。人生にはその道々で山あり、谷あり。

悲しいことがあり、また嬉しいことがあり。辛くて投げ出したいことあり、喜びで飛び上がることあり。それの繰り返しです。そして、躓いたら、起き上がることが期待されている。


パウロが異邦人伝道へと遣わされ、そこから多くの魂が救われ神の子とされていったことは、ユダヤ人にとって、まるで、レースの最中に躓き倒れたのに自分のコーチが、他の倒れた選手のところにより励まし支えており自分は倒れたまま競技に戻れない・・そんな状態であったということが語られました。


パウロは行く先々でまずユダヤ教の会堂にいって福音を語りました。ところがユダヤ人たちは頑なな心のままパウロの福音を聴こうとしませんでした。パウロは次に異邦人のところに向かいます。彼らはどうしたかというと、パウロのいうことを素直に聴き、福音を受け入れ豊かに実を結んでいったのです。そしてその恵みは大きな力となって世界中へ広がりました。つまり、ユダヤ人の躓きは世界中の救いへと繋がって広がっていきました。

ここに神様の偉大なご計画がありました。私たちの違反も失敗も大きな神様のみ業を成し遂げられるために用いられていったのです。


ヨセフのお話が出てきました。

ヨセフは12人兄弟の11番目の男の子でした。お父さんから一番愛を受け、特別に育てられた彼は、他の兄弟から妬まれ、ある日、エジプトの行商人に売られてしまいます。

それまで、父の寵愛を受け、何不自由なく暮らしていた彼は遠い土地で奴隷として行くことになったのです。さらに、その奴隷として買い取られた家の主人の妻に言い寄られ、拒んだ結果、嘘の訴えをされて、牢獄に入れられてしまいます。惨めな人生です。

「ああ。僕に力・権力があったなら!」と思ったことでしょう。しかし、このヨセフを

悲劇的な出来事を通した後で、神様は、エジプトの総理大臣にされたのです。


地方一帯に飢饉が広がり、ヨセフの兄弟たちはこぞってエジプトにやってきました。

自分たちが売ったヨセフが、目の前にいる総理大臣であるとも知らず、彼らは食物を求めてやってきて跪きました。ヨセフは、いくつかの問答の後自らを表し、そして、兄弟たちにいうのです。

「あなた方は私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それは今日のようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」と。


ヨセフは感情的には兄弟に対して憎しみや怒りが出てきたかもしれない。しかし、

「兄さんたち、あなた方は悪を成したけれど、神様の視点を持ってみたら、神様はもっと大きな計画を持っておられてイスラエルの民を守るために、私をこのように導かれたのだ。」とヨセフはいったのです。


神の視点。神様は私たちがみる現状よりも、もっと先に大切なことを用意しておられ、たとえ私たちが、一つ一つのことを受け入れられなかったとしても、この神様は悪いことをも善いことに変えてくださるお方なのだということ。


ローマ8章28節にはこのみことばがあります。

「神を愛する人たち、すなわち神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて、益となることを、私たちは知っています。」

神のご計画によって召された私たち。すぐに不平をいう私たち。しかし、神はこの私たちに起こってくるマイナスと思われることもプラスも全て益としてくださる方だということ。この神様に委ねることの大切さ。

どんな状況の時でも、神に信頼します。と委ねて生きていくことの幸いを思いました。


CSはパウロのお話から❣️そして、楽しいクイズ!元気よく賛美!お祈り!ワクワク


午後は、「教会実務を神学する」の著者山崎龍一氏をお迎えしての役員研修会でした。

役員の実務そのものでなく、まずキリスト者として何よりも大切な役員としての心構えと立ち位置。また常識的な考えでなく、教会的な考えに立つということの大切さを非常にわかりやすくお話しくださり、この世の常識に流されず、信仰にたって神の教会を建てあげるということ、「神の視点」を意識してキリストの身体として成長していくことの大切さをしみじみと感じさせられる有意義なひとときとなりました。尊いご奉仕を心から感謝します。「神の視点」というところで、今日の礼拝で語られたみことばともピッタリと重なり、主の導きに感謝でいっぱいです!ありがとうございました・・・。


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