
祈祷会は箴言17章より。
神に喜ばれる家庭とは・・・
❶平和な家庭
たとえ一切れのパンだけしかないような貧しい家庭であっても、それを分け合って食べる家庭は幸せな家庭です。昔「一杯のかけそば」という話がありましたが、たった一つのものでも分け合ってゆく人生の幸せを思います。
日本のような先進国と言われる国は、物質的には豊かで、家庭にはご馳走が溢れているにもかかわらず、夫婦や親子がいがみ合い、骨肉の争いが絶えない、そんな家庭が少なくはない。物質的な豊かさと精神的なものが比例しないということを教えられます。
年末にテレビで放映された「天空のヒマラヤ部族」の話が語られました。
世界一高い標高4000メートルで暮らす人々を取材し、12の村を一つ一つ巡るドキュメンタリーです。水道・ガス・コンビニなど便利なものが何一つない厳しい環境に適応しながら生きている部族の姿を見ながら、貧しさを乗り越えるために、心を一つに協力することの尊さ、また老いも若きにも溢れる笑顔に優しさと安らぎも感じました。
豊かであるということは悪いことではないけれど、豊かであるために、自分のことしか考えなくなり、そこに絶え間なく争いが起こってくるということの乏しさを覚えます。
22節に「喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。」とあります。
新改訳の第三版では、「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」と記されています。
私たちは皆、平和を求め、そこに身を置くことを願っています。争いの中に安らぎはやってこないし、心の安らぎは平和なところにあるのです。
これは家庭の中にも、また、教会の中にも言えることです。
家庭や教会の中に、どうしたら「平和」がくるのか。
自分の果たすべき役目は何だろうか。改めて、考えさせられるのではないでしょうか。
❷尊敬し合う家庭
神に喜ばれるもう一つの家庭とは、尊敬し合う家庭です。
6節に「孫たちは老人の冠。父祖たちは、子らの栄え。」とあります。
子や孫を単に可愛がるだけでなく、彼らへの心の教育に取り組むこと。信仰の継承ができないときに家族や両親に悲しみがもたらされるということを覚えておかなければなりません。
3節に「銀にはるつぼ。金には炉。人の心を試すのは主。」というみことばがあります。
私たちの人生には思いがけないことが起こります。神様は、その災いさえも用いて、私たちの心を整えようとされるのです。銀や金に、るつぼや炉が用いられるように、災いを通しても、今、神の前に家庭があるべき姿であるのか、真価が問われるのです。
17節には「友はどんな時にも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。」とあります。主の家庭は一人が苦しみ痛みを負うなら、皆で分け合っていくのです。
家族としてみことばをよく学び、神様が望んでおられる家族として日々成長を与えられるようにと願います。
箴言が何度も何度も語っている「親から子へ、子から孫への信仰継承」
信仰は私たちの世代で終わってはいけない。次世代からまたその先の世代へ、世の終わりまで引き継がれていかねばならないものであり、新たな命を主が祝福して下さること。
家族伝道の大切さをもう一度教えられ、祝福のバトンタッチについて、
家庭・教会について考えさせられたことでした。
週の後半も主の豊かな恵みと導きがありますように・・・祈りつつ・・
「愚かな子は、その父の憂い。これを産んだ母の痛み。」箴言17章25節 聖書
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