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知恵を選びとる


11月。美しい二宮です❣️


今日の祈祷会は、箴言9章7節から18節まで。



9章は、交差配列法という形をとって書かれている章で、それは、パイプオルガンのように

\/このようなくの字型を横にした形式であり、真ん中の谷の部分に中心的な聖句が置かれ、その隣同士が交差するように進められていきます。

聖書では、中心的な聖句、この言葉を知りなさいという時に、しばしばこの用法が用いられて私たちに語りかけられていると学びましたが、

この9章においての中心聖句は10節であり、

「主を恐れることは、知恵の初め、聖なる方を知ることは、悟ることである。」です。

ここでは、「知恵」と「愚かな女」、それぞれが呼びかけし、物を与えてくれる、そしてそれのどちらを選び、食べるかはあなた次第であると、そのように語っているのです。

「知恵」(イエス様)はいのちを与え、「愚かな女」(サタン)を選ぶ時、死が訪れると明確に語られています。

マタイ7章13から14節においても、

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入っていく者が多いのです。

いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そしてそれを見出すものはわずかです。」そう書かれています。

このみ言葉を聞くあなたは、どちらにつき、従っていくか?と提示されているのです。


生活の中で、私たちが、何に関心を持ち、何に聞き、何に従っていくのか。私たちには選択の自由があります。そして、私たちは、自分で撒いた種は自分で刈り取らなければならないのです。

常にみことばを読み、祈り、少年サムエルのように「主よ。お語りください。しもべは聞いております。」と主の前に在ることがとても大切で、それは生活の中の細部に至るまで、自分の行動が「神」に聞き従っていることなのか、或いは「愚かな女」に聞くことに値していることなのか判断することも助けます。礼拝や祈祷会、あるいは一つひとつの選択の上に主の助けと導きがありますようにと語られました。

この世において、いのちに至らせる道もあれば、滅びにいたらせる道があることをもう一度覚えつつ、私たちの常識や経験全てをはるかに超えておられる創造主なる神を恐れ、その神の目を意識した選択をしていくことができるようにと願わされたことでした。


「この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」コロサイ書1章27節   聖書

 






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