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柔らかい心*ルカ8章4〜15節

先週は、福田先生においでいただきメッセージをいただきました。感謝します。

私たちは、友人の教会において礼拝を守らせていただきました。

車で3時間ほどの所ですが、久しぶりに会う友人との再会を喜び、さらに、教会の温かさに感動しつつの礼拝でした。友人の息子さんが成人式を迎え、司会の方が何度も何度も感謝だ!とその成長と存在を喜び、牧師先生がそれをまた喜び・・・と愛の共同体であることがひしひしと伝わってきて、あったかい気持ちになって帰ってきました。

いただいたメッセージは「永遠の命を豊かにする教会」ヨハネ16章17節から24節より。

神様との絶えざる豊かな交わりこそ永遠のいのちなのであり、そこに共に生きる教会は、兄弟姉妹は深く愛し合い、支えあう、温かい交わりに入れられているのだということ。

神様からいただいたメッセージを感謝して受け取りました。


そして、今日は我が教会でも成人式の祝福の祈りのひととき。

20年間主が支え守り導いてくださったことを感謝します。礼拝が二部に分かれているため一部でのみの挨拶でしたが、「これまで嬉しいことも辛い試練もあったけれど、いつも主が共にいてくださったこと。感謝でいっぱいです。これからも教会に仕えていきたいと思います。よろしくお願いします。」これからの歩みのために祈りつつです!


礼拝は「実を結ぶ人たち」と題してルカ8章より。

❶ルカの視点

イエス様は「種まきのたとえ話」をされました。同じ種ですが、私たちがどのような聞き方をしているのかによってどのような理解をするかにつながるということを考えました。

まかれる種は同じ種です。


しかし、きく人によって全く違う結果となるということ。

道端に落ちた種は、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。

岩地に落ちた種は水分がなく枯れてしまい

茨の真ん中に落ちた種は成長できずに枯れてしまった。

この三つの心の状態は、その人の聞き方ゆえに、実を結ぶことができないということ。

しかし良い聞き方をしている人は、良い地に落ちた種のように、みことばによって実を結ぶことができる。


❷たとえの果たす役割

9節で、弟子たちがイエス様にこのたとえの意味を問うています。それに対して10節でイエス様は不思議な返事をされました。「あなたがたには神の奥義を知ることが許されていますが、他の人たちにはたとえで話します。『彼らが見ていても見ることがなく、聞いていても悟ることがないように。』するためです。」と。


普通は、たとえというものは、分かりにくい事象を分かりやすくするために使われます。しかしここでイエス様はイザヤ書を引用しながら、より理解するためでなく、悟るか悟らないかでこの例えを用いられたのです。

群衆はイエス様にわかりやすい話を求めて、やってきている。当時のイスラエルの農耕社会において、この種まきのたとえは非常にイメージしやすいものでした。


しかし、ルカがここで記していることは、話が「分かりにくい」時に、人は考える。そしてそれを真剣に悟ろうとする者でなければ、神の奥義、ミステリーは見つけられないのだということ。

イエス様は「求めなさい。そうすれば与えられる。捜しなさい。そうすれば見つかる。叩きなさい。そうすれば開かれる。」と言われていますが、心からその奥義を求め、悟ろうとしなければ与えられないのだということを記しているのです。

 

牧師が神学校を卒業するときに、恩師がくださった言葉「あなた方はこれから毎週宝を見つけるために旅をしなければなりません。金脈を見つけるためには労さねばならないのです。」が心に残りました。


金脈を探し、見つけるために、牧師が見つけた金脈を私もまた見つけるために、礼拝は説教を聞きああ終わったというのではない、これから、その金脈を探し当てるための一週間の旅に出ていくのであり、それは、このみことばを思い巡らしながら悟ろうとする旅であること。


❸実を結ぶ

実を結ぶというとガラテヤ書の聖霊の実が浮かびます。しかし、実を結ぶということはヨハネ15章11節にあるように、「心が喜びで満ち溢れる」ということであると語られました。

そして実を結ぶための「良い地」とは、決して何もないふかふかした地ではなく、

柔らかく根が伸びていきやすい土であること。柔らかい素直な心で、根がストーンと落ちて行ける、そのような土であると学びました。


私たちの心は、心配事や様々な祈りの課題でみことばが聞けないようにはなっていないか。

いつも心の状態を主によって柔らかくしていただき、主を見上げ、みことばをいただき良い実を結び、喜びで満たされるように願わされたことでした。

今週も主の守りがありますように。


「ですから聞き方に注意しなさい。というのは持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです。ルカ8章18節」聖書

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