祈祷会では旧約聖書からのメッセージです。
聖書箇所は、半年前からの継続で、箴言3章21節から35節。
心地よい眠り、快眠を得るために身体をよく動かして疲れさせたり、薬を飲んだりするということがあるかもしれませんが、聖書は今日の箇所で、必要なのは
「知性」と「思慮」であると言っています。そこから目を離さないことである(21節から24節)とおしえています。
聖書の中から、3つの例を見たいと思います。
●まず、ダビデの人生を見ると、彼の人生はまさに「追われる人生」でした。
初めは、サウル王の嫉妬によって追われ、次に息子アブシャロムに追われ、人生に おいて、2度目の都落ちとなりました。息子が王位を狙い、追手をたくさん差し向け、命を狙ってきたときも、ダビデは、
詩篇3篇5節で「私は身を横たえて眠り、また目を覚ます。主が私を支えてくださるから。」とあるように、
明日も必ず自分に与えられるという神様の確かな守りを信じていました。そして、彼の
心は平安で保たれていたのです。
●嵐の中のイエス様を思い起こしてみましょう。
イエス様は、ある夕方(マルコ4章35節)舟でガリラヤ湖を弟子たちと渡りました。
すると激しい突風が舟を襲い、波が舟の中に入ってきて、舟は水でいっぱいになったと
書かれています。弟子たちは必死にできることをしますが、やがて、ふと、船尾で枕をして
静かに眠っておられるイエス様に気づき、起こします。
「先生!私たちが死んでも構わないのですか?」
イエス様は起き上がられると、風を叱りつけられ、湖に、「黙れ!静まれ!」と言われました。聖書は、「すると、風はやみ、すっかり凪になった。」と記しています。
イエス様は、弟子たちに、「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」と
言われました。
イエス様には、どんなときも神様が支えてくださるという確信と平安が満ち溢れていたのです。
●ペテロはどうでしょう。
ペテロは使徒の時代、宣教の中心人物として豊かに用いられましたが、ヘロデ王はそのペテロを捕らえ、牢獄に入れました。(使徒12章4節から19節)
ヘロデ王はペテロを処刑しようとしていました。
そのとき、教会は、熱心に祈りを捧げていたと聖書にあります。(5節)
そして、そのとき、当のペテロは何をしていたか。
6節には、驚くべきことが書いてあります。
なんとペテロは厳重な警護態勢の中、兵士の間でぐっすり眠っていたのです。
明日か近日中か、ヘロデ王の手の中にあれば、いつ殺されてもおかしくない状況でした。しかし、「恐怖心のうちに、その晩ペテロは眠れなかった。」とか、
「ペテロは命乞いをした。」とか、そんなことは書かれていないのです。
ペテロもまた、彼自身の中に神様に対する確信を持っていたのでしょう。
平安をくださる神を知っているということ。
これに勝るものはありません。この神様の守りの中に、主を信じる私たちはいるのです。
詩篇121篇にこのようなみことばがあります。
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けはどこから来るのか。
私の助けは主から来る。
天地を造られたお方から。
主はあなたの足をよろけさせず、
あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主はあなたを守る方。
主はあなたの右手をおおう陰。
昼も、日があなたを打つことはなく
夜も、月があなたを打つことはない。
主はすべてのわざわいからあなたを守り、
あなたのたましいを守られる。
主はあなたを行くにも帰るにも
今よりとこしえまでも守られる。」
いつも守り、支えてくださる完全な神様に信頼しつつ、週の後半も導かれますように❣️
Comments