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心を尽くし*出エジプト記24章1〜18節
更新日:2021年2月2日

今週のみことばは出エジプト記の24章1から18節でした。
「心をつくし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」このみことばがメッセージの中で語られましたが、生活の中で、幾度となく、主の喜ばれることとは何か。あるいは主が嫌われることとは何かを、考えます。
第二列王記17章は、イスラエルの民がアッシリヤに攻められ、捕虜となってアッシリアに連れて行かれた時のみことばです。
7節「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を恐れ、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。イスラエルの人々は彼らの神、主に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町まちに高き所を建て、・・・・・・主が彼らに、「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。・・・」
33節「彼らは主を礼拝しながら、同時に自分たちがそこから移された諸国の民の慣しに従って、自分たちの神々にもつかえていた。」
「ひそかに」とあります。また、「主を礼拝しながら、同時に自分の偶像に仕えていた」とあります。
マルコ7章で「外側から人に入って、人を汚すものはない。人から出てくるものが人を汚す。内側から、すなわち人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、妬み、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪は皆、内側から出て、人を汚すのである。」とイエスさまが言われています。
心を尽くして主を愛するとは。。来週のみことばに期待しつつ、悔い改めの時を持ちつつ
備えるものでありたいと思います。
「この民は口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
彼らがわたしを拝んでも、無駄なことである。人間の教えを教えとして教えるだけだから。」マルコ7章6から7節 聖書
主の平安と導きを祈りつつ。