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主に委ねられたもの*第一サムエル記1章20〜28節


今日も花で溢れる二宮です。


日曜日の礼拝の子どもタイムは「十戒」の十番目。「他の人のものを欲しがってはならない。」でした。牧先生が「他のお友達が、自分よりもっとすごいもの(例えばゲームとか)を持っていたら欲しくなったりするかな?」という質問に「うん。でもそれは、金持ちが買えるものだよ!」と即答のリーダーくん。

「お!今日のみことばはこれですよ」と牧先生。第一テモテ6章9、10節。

「金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」

皆でみことばを読み、ふむふむといつもに増してさらによく聞いていました。

大人も子どもも「十戒」を学ぶことは本当に大切なことですね。。。


さてメッセージは「委ねられたもの」と題して第一サムエル記1章20〜28節より。

先週に続きハンナの箇所からです。

私たちは、苦労してやっと手に入れたものに関して、強い愛着が生まれそれを握りしめてなかなか手放すことができません。

ハンナは、長年祈っても子どもが与えられない中、憂いと苛立ちと苦悩の生活の末に、やっとサムエルが与えられました。

そのハンナがしたことは、一度握りしめたそのサムエルを、乳離れした後に祭司エリの元に預け、主に捧げたことです。

なぜそれができたのか。


❶祈りの答えとして

ハンナはエリの「安心していきなさい。」という言葉を主からの言葉として受け取ってから、苦しい感情から解き放たれました。そして同時に、誓願を立てたということをしっかりと認識していました。


サムエルの誕生は神のみわざ以外の何ものでもないこと。ハンナはそれ故に、子にサムエルという名前をつけました。その意味は「神が聞いてくださった。」


サムエルは決して自然に生まれたのではない。祈り続けたその祈りを主がこのようにして「聞いてくださった」ということ。この喜び・確信の元に、ハンナは主のみわざを厳粛に受け止め、幼い可愛いたった一人の大切な大切なサムエルを時が来たときに、主の元に、祭司エリの元に連れてきたのです。




人は誰しも大事なものは自分のものにしておきたい。そう思います。

ことに我が子に関しては、深い愛情を持ち、まるで自分のものであるかのような錯覚をもったりするのではないでしょうか。


ヨブ記には、富も子どもも豊かに有していたヨブが一夜にして、その全てを奪われ、自分の健康さえも奪われていったその姿が描かれています。

しかし驚くべきことに、ヨブはこう言うのです。


「私は裸で母の胎から出てきた。

また、裸で私はかしこに帰ろう。

主は与え、主は取られる。

主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1章21節)




ヨブはなぜこのように潔く告白することができたのか。

私たちは、「私の人生は私のもの」という錯覚の時代を通るけれども、そして財産や人にしがみつこうとするけれども、実は全ては神様からきたものであり、「私の人生は神様のものである」ということを忘れてしまう。


土地の権利書を握りしめて、立派な服をきて富を持ち合わせて生まれてくる人は一人もおらず、また地に帰る時も、誰一人として何ももっていくことはできないのです。


神の恵みと憐みのゆえに、今人生を与えられている自分を知り、またそのような中で、心へり下り「日毎の糧を与えてください」と歩みの中で主を見上げていくこと。


ハンナは、やっと与えられたこの大切な大切なサムエルを握りしめず、自分の手から手放しました。それは、この子は神によって与えられたから神に返すのだ、とハンナの中に育まれた真っ直ぐな信仰であることを改めて覚えました。


❷誓ったことを実行したハンナの姿

11節でハンナは主に誓願を立てています。

「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はこの子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にはかみそりを当てません。」


ようやく与えられたかけがえのないサムエルを神の前に捧げたハンナ。その心は、情的には自分の元に置いておきたかったでしょう。乳離れした子どもとは3歳から5歳までの小さな小さな可愛い盛りのこどもです。


しかし、ハンナは、神と自分との契約を優先していくのです。

神に人生を捧げるところに立ち続ける彼女の信仰を見ます。

私たちも70年、80年、90年、100年の人生。それは自分のものなのか?自分が作り上げ、積み上げてきたものなのか?それとも、主のものなのか?

主の恵みのうちに与えられたものであるならば、主の時に、主がご入用ならばお捧げします。と主に捧げて行くことができるのか。


ハンナは大切な子サムエルを通して主に献身を表したのでした。

このサムエルはやがてイスラエルを裁く偉大な祭司として、主が尊く用いられた素晴らしい存在です。

このサムエルを生み出すために、まず神様は母ハンナの信仰を培い、この乳児期に大切な主への信仰をサムエルは母ハンナからたくさん吸い取り、育まれて、そしてエリの元にきたのだなと心ジーンとしてメッセージを聞いていました。



レプタ2枚を捧げた女性の話が出てきました。


多くの金持ちが多額の献金をする中、それをじっと見ておられたイエス様が、たったレプタ2枚を捧げた女性を見つめられて「この中で一番多く捧げたのはこの女性だ」と言われたのです。

レプタとは当時の最小単位のお金です。しかし、この女性はある中から、困らない分を捧げたのではない。他の人が有り余る中から捧げたのに対して、この女性は生活の全てを捧げたのだとイエス様は言われています。


神様は、私たちの現状も心も全てをよくご存知でしっかりと見ておられる。私たちが持てるものを主のものとして、豊かに捧げてゆくときに、その心を主は本当に喜んでくださり、本当の意味で祝福してくださる。主の目に豊かな実を結ばせてくださる。


次元は違いますが、たった一人子、宝のイエス様を、まるでお願いするかのように心低くしてマリヤとヨセフに預け、そして十字架につけて、信じるもの全ての人に永遠の命を与えられたのは父なる神様でした。

とっておきの一番大切な存在を与えてくださった神様の愛、心を思います。。。

(csのメッセージがゲッセマネで祈るイエスさまの姿だったので、この時の神様のお心はどんなであっただろうと、考えたことでした。。。)


今週もこの神様の愛を思いつつ信仰によって歩ませていただきたいです。



CSはイエス様がゲッセマネの園で祈られた後に愛する弟子ユダとペテロに裏切られたお話でした。これから受難週を迎えイエス様の十字架やイースター、復活の主を覚えて行きたいです。

皆、元気に賛美。ゲームタイム、そして工作は紙鉄砲を作りましたよ!楽しいひとときでしたね❣️


第一礼拝・第二礼拝それぞれの中で、転入会式、役員・教会学校の任職式が持たれました。

まだコロナ禍。課題も多々ありますが、主に守られ導かれてゆく一年とされたいです。☺️


「この子のことを、私は祈ったのです。主は私がお願いした通り私の願いを叶えてくださいました。それで、私もまた、この子を主にお委ねいたします。この子は一生涯、主に委ねられたものです。」第一サムエル記1章27・28節     聖書

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