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心低く・・・*ローマ書15章14〜21節


講壇のお花は、お家で咲いていたという百日草。ダリアかと思っていたら、びっくりです。すごく綺麗で、皆パチッ📸!と撮っていました。秋のお花もまた美しいです・・・


みことばはローマ書より「異邦人のために」と題してメッセージ。


ずっとローマ書の講解説教が続きましたが、ローマ書は16章までなのでそろそろ終盤に差しかかってきたところです。

パウロは今日の箇所で、なぜこの手紙をローマ教会に書いたかを記しています。

一章において彼が語ったように、それは「異邦人に対してキリストを宣べ伝えるため」であり彼にとってこの召しこそが使命であることを伝えるのです。


パウロはかつてはキリスト者を激しく迫害する者でした。その彼にキリストが出会われました。「わたしはあなたを異邦人へと召す」と語られ、彼の働きはエルサレムからイルリコに至るまで情熱溢れる宣教のわざでした。

パウロにとって嬉しいことは、キリストを宣べ伝え、信じた人々が福音を受け入れてさらに宣べ伝える者へと変えられてゆく姿を見ることでした。彼は言います。「私にとって生きることはキリスト。死ぬことも益です。」と。

私の人生を通して、また生き様を通して、イエスキリストが伝えられてゆく。そのことを覚えたいです。


❶恵みとしての使命


パウロの使命は、異邦人に対して福音を伝えること。そしてこの箇所の中で、彼はまずローマ教会の人々の信仰を賞賛してから、それを伝えています。

これはパウロが手紙を書くときによく用いていた書き方であり、たとえコリントのような教会であってもまず褒めるところを褒め、それから愛の心ゆえに厳しい忠告も語っていきます。


パウロは実際にはローマ教会を訪問したことはなく、プリスキラとアクラ夫妻を通して、あるいは世界の中心地であったこのローマを行ったり来たりする人々からこの教会について聞いていたようです。


パウロは16節で「私は神が与えてくださった恵みのゆえに、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となった」と語っています。

恵みとはなんだろうか。聖書が教える恵みとは、良いことが起こるとか、物質的にも自分の思い通り、あるいはそれ以上のことが降ってくる、そんなことには留まらず「自分の口を通して救い主イエス様を人々に伝えることができること」が最大の恵みなのだとパウロはいうのです。


イエスキリストを神として、救い主として受けいれる信仰は、決して人のわざではなく、肉の働きでもなく、ただ一つ「聖霊のみわざ」によるものです。

第一ペテロ2章9節には「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それはあなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」とあります。


「全て救われた人は、王である祭司」パウロはこれをしっかりと自覚していた。

キリストを信じた時にあなたの身分は祭司なのだ、と。人に滅びをもたらすのではなく、人に永遠の命を導く、そのような存在なのだと。


❷神は謙遜な人を用いられる。


パウロが伝道したエルサレムからイルリコまでどのくらいの距離だったか。1500キロもの距離であったそうです。ヨーロッパの端から端まで、さらに行こうとしているパウロは情熱家でありました。しかし、彼は「私がやった」と決して誇らなかった。

なぜなら神の働きを人の働きに変えてしまうからです。むしろ彼が書く手紙には至る所に「私は罪人のかしらである」「惨めな人間です」と謙遜な告白があり「こんな私でさえも主は用いてくださる。神は弱さのうちに働かれる方なのだ」と「恥は我がもの。栄光は主のもの」と告白するのです。


世界的伝道者のアメリカ人ビリー・グラハム師のことが語られました。

彼は偉大な説教者でした。世界中を巡り、20億人以上の人々にキリストの福音を宣べ伝え、多くの人々を救いに導いた器です。しかし、同時に彼は本当に心低い謙遜な人であったこと。ビリーグラハム師は食卓に客人を招くときにどんな人であっても必ず招いた人にこういったそうです。

「兄弟。私に神のみことばをください。」それが名もない伝道者であったとしても、主がその器を通して自分に語ってくださると信じてそうお願いしたというのです。


「神の御前において謙遜でありなさい」オルフォード師の言葉も引用されましたが、

ガマリエルに師事しユダヤ教史に名を残すような可能性もあった偉大なエリートであったパウロが、キリストに出会って変えられてから「キリストを伝える者」として、権力によらず、能力によらず、ただ神の霊によって歩む謙虚な伝道者となりました。


私たちは一体何に頼っているでしょうか。自分や自分の持つもの、目に見えるものにでなくただ神と神のみことばに頼る、謙虚な者へと変えられてゆくこと・・・。


❸未伝地への情熱

20〜21節においてパウロの情熱が語られています。開拓伝道の働きです。

キリストと出会って、異邦人への召しを伝えられ、賢いパウロは考えたに違いないのです。

神のみこころとは何か。自分は一体なぜこのようにキリストが出会ってくださったのか。そして、これから行こうとしている道は自分にできるのかできないかでなく、一番大事なのは「神が私にそれを語ったのか。語らないのか。神の御心がそこにあるのか、ないのか。」そこなのだと。

第二テモテ2章4節にあります。「神は、全ての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」と。


神の御心とは。まさにこのみことばが神の御心の中心であるのです。

この神の御心のために手となり、足となること。パウロを突き動かしたのは神の御心への応答と召命です。


明治時代に多くの宣教師がアメリカからやってきました。

そして戦後、マッカーサーの政策により、さらに多くの宣教師が日本の地へと来てくださった。その中にF・B・ソーリー宣教師という方がおられて、彼は1948年の焼け野原となった東京の一角に立ち福音宣教に力を注ぎました。

東京での宣教が終わると、彼が和歌山に向かうということを聞いた日本人の牧師が彼に尋ねました。「なぜ和歌山ですか?」

するとソーリー師が答えたそうです。「調べてみると、クリスチャンが少ないのは和歌山と富山だそうです。富山にはカナダの宣教師が伝道に向かうことになったので、私は和歌山に行くことにしました。」


自分のことなど後回しで、開拓者精神に溢れた宣教師たちの働きによりこの日本にも福音が宣べ伝えられてきました。この日本は「宣教師の墓場」とも言われている現状です。

さらに祈りたいと思います。一人でも多くの方々が主の救いを受けいれ、永遠の命に与ることができるように、求霊に燃やされ祈り、御心を求め、御心のために語り続けたパウロの開拓スピリットに立たされたいと願わされます。


「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐のかぎりを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」第二テモテ4章2節 聖書



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