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「教会の誕生」*使徒2章より(祈祷会)
更新日:2022年6月29日

恵みの雨の一日。
次週聖日はペンテコステです。祈祷会のメッセージが使徒の講解となり、ちょうど今日は2章のペンテコステから導かれますこと感謝です。
五旬節の祭りとは、大麦の収穫を祝う祭りだそうですが、イエス様が昇天されてから、ちょうど10日目、イエス様が復活をされてからは50日目ということになります。
この日。世界で最初の教会が誕生しました。
120名ほどの弟子たちが、同じ場所に集まっていたその日。天から激しい風の音や炎のような舌が分かれて現れて、一人一人の上に留まりました。そして彼らは今まで学んだことのない他国の言葉で話し出しました。(〜4節)
このことで、エルサレムのこの祭りに色々な国から集まっていたユダヤ教徒たちは、自分の国の言葉で福音を聞くことができました。
聖書は、かつて人間の使う言語は一つであったと教えます。しかし、バベルの塔において人間が神様に対して自分たちと同等であると見下げ、その結果神様により、人間は言語が分かれ、コミュニケーションが取れなくなり、散り散りにされたのです。しかし、神様はこの福音・良き知らせにより、キリストの贖いを通して、もう一度一つの民としてまとめようとされている、まさにこの時にそれが起こったということを知るのです。
福音はある特定の時代、人々のためではなく、時代を超えて、全ての国々の人々に届けられようとしているのです。
ウィクリフ聖書翻訳協会という団体があります。聖書は主要言語と言われる言語には、ほぼ全て翻訳されていると言われていますが、彼らは言葉のない人々にも聖書を伝えようとしています。
現地に入り、会話を聞き取り、アルファベットのようなもの、また単語を作り、そこから文字を教え、さらに聖書を翻訳していくという働きです。ある宣教師は一生をかけてこの仕事に従事されています。それは、なぜか。聖書は神の、イエス様のお言葉であり、この福音が世の全ての人々に宣べ伝えられてから終末が来ると預言されているからです。
神様は平等であられ、全ての人々を愛し、この福音が宣べ伝えられてゆくことを願っておられます。
14節から35節においてペテロが説教を語ります。人を神と告白することが死刑に値すると考えられていた時代に彼の説教は非常に大胆なものでした。
ペテロは、聖書学者でもなく、語り、学ぶ人でもない、一介の漁師でした。その彼があのペテロの手紙という高度な手紙をギリシャ語で記すとは、誰が想像できたでしょうか。
まさに神の選びと召し、導きであり、ペテロの宣教の上に聖霊が臨み、導かれていたことを見るのです。
人は何か目標を立てそれを達成するために努力します。途中、失敗する前提で考えると、大抵失敗し、成功すると考えれば成功できるのだと考えます。
しかし果たして、ペテロもそうやって自分を鼓舞させたから、頑張ったから、これらの大業を成し得たのでしょうか。
弟子たちは、イエス様が復活された後も、ユダヤ人の前に出ることを恐れ、隠れるように過ごしていた臆病な者たちでした。しかし、聖霊が彼らの上に臨んだ時に、彼らには驚くべき大胆さ・能力・言葉が与えられ、みことばが前進していったのです。
聖霊が私たちの上に臨み増し加わり、力を与えてくださるなら、能力に限界はなくそこに聖霊様の働きが表されてゆくのです。教会は2000年もの間続き、広がって行きました。
聖霊様が留まり、働いてくださるときに、私たちは力を得る。なぜなら、神様とイエスさまと三位一体であられるこの方が、私たちのうちにいてくださり、このお方に頼らねば、福音の前進などないからです。
41節には、3000人もの人が仲間に加えられたと書かれています。
彼らが悔い改め、そしてここに初代教会がスタートしたのです。
伝道、伝道という言葉を聞きます。それを否定することはありません。
しかし、初代教会の姿を見るときに、そこにまず「伝道した」と書かれていない。
教会が教会であるために、自分自身がまずみことばによって整えられた。そこから伝道はまるで副産物のように、主ご自身が人々を送り、教会に加えてくださった(47節)のです。
初代教会が礼拝・祈祷会・神と人への奉仕を大切にしていたように、私たちも内側が整えられることが非常に大切であることを示されました。
今週の後半も主との交わりを深め、聖霊様が助け力を与えてくださるあゆみでありますように。
「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったら良いかわからないのですが、御霊ご自身が、言葉にならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。 ローマ8章26節 聖書