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「祈り」*ピリピ4章4〜7節



今日は首都福音キリスト教会伝道師水梨郁河師がみことばを取り継いでくださいました。

ピリピ書より「祈りと願い」と題して。


ピリピ4章4節、パウロは「いつも主にあって喜びなさい」と記しています。

この「主にあって」という言葉は「主の中で」という意味であり、周りの環境や人間関係・私たちを取り巻く状況に左右され翻弄されるのでなく、主のうちにしっかりと留まり続けるとき「主の中で」主ご自身を喜び続けることができるのだということを教えられました。


パウロは「主は近いのです」と続けて語ります。「主の日は近いのだ」もうすぐそこにきているのだ、と。そして、感謝を持って祈りと願いによって、神に願い事を知っていただきなさい、と続けるのです。


祈りと願いの違いとは?と語られました。第一列王記8章54節が開かれました。

ソロモンが神殿を建てたときに、代表して祈ります。ここで

「・・・ソロモンは、祈りと願いをことごとく主にささげ終えた・・・・」と書かれています。祈りとは、神と人との仲介に立つことであり「とりなし」を意味していることであり、

「願い」は自分の願っていることを祈ることなのだと語られました。モーセが「主に叫んでいった」「民のために祈った」といったように、人のために神にとりなすときにそれは祈りとされているということ。

改めて祈りについて教えられました。


今私たちの教会では「祈りの精神」という本を通して学びもされています。

祈りについて、深く考えさせられるとともに、イエス様がエルサレムの宮に入られたときに、「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」と聖書から語られたことの奥深さを考えさせられています。


祈りとは、この全宇宙・全世界、そこに住む全てのものを造られ、よくご存知であられる全知全能の創造者なるお方との交わりに入れられる尊い恵みであり、そこに全ての意味と目的と解決、平安があります。神様の前に祈りと願いを信頼を持ってささげる恵みを覚えつつ今週一週間のあゆみも祈りの日々でありますように。


CS日曜学校は先週の礼拝のみことばからダビデや家来のヨアブとアブネル、アサエルのところから学びました。午後のミニシアターはダビデとゴリアテでした。ダビデの真っ直ぐで強い信仰に、とても恵まれ励まされました。


いつも神様がご一緒くださる歩みはなんと心強く、ワクワク、力与えられるものでしょうか。感謝です。


「ここに集まっている全ての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちを我々の手に渡される。第一サムエル記17章47節  聖書」


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