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神の栄光か、自分の栄光か

最終更新: 11月11日

今日は久しぶりに会堂に集まってのChurch School❣️ソーシャルディスタンス、検温、マスク。気を抜かずに、気をつけて、のCSです。

出エジプト記のモーセさんのお話だったので


いつもバタバタしている生き物はなあに?のクイズとともにバッタくん登場!

ちょっと引き気味の皆さん。


いなごの佃煮も用意してみましたが、こどもたちは試食せず、大人たちには意外に?好評でした。甘くて美味しいですね。

しかしこのイナゴの大群発生は、神様に聞きしがたわないパロのせいでエジプトを悩ませたのですから想像すると恐ろしいです。。


10の災いの後、パロはイスラエルの民をエジブトの地から開放しました。

来週はその先のお話です。

工作はみんなで、紙コップで風車を作りましたよ。


先週のzoomでは、紙皿で美味しそうなスイカを作りました。

まだまだ暑い日々が続きますが、元気いっぱいな皆、神様に守られて乗り越えたいですね!


礼拝は


ローマ7章1節から6節まで

 「律法から自由になる」と題してメッセージ。

 今週限定でYouTubeにてご覧になれます。


からし種(牧師コラム)より抜粋

 ガラテヤ2章20節には「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今、私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のために自分をあたえてくださった神御子に対する信仰によるのです。」とあります。このみことばは、私たちが学んでいるローマ書の箇所を一言で言い表しているみことばではないでしょうか。

 パウロは、繰り返し、私たちはイエス様を信じる時に、イエス様と一緒に十字架につけられて死を経験したと語ります。けれども、私たちは肉の死を経験するわけではないので、生きていながら死んだと言われても、なかなかそのことを受け止めることが出来ないのです。

 結果、死んだと言われているものがなおも生き続け、神様の栄光ではなく、人の栄光が表されてしまうのではないでしょうか。

 信仰をもっても、またどんなに信仰生活を積み重ねて来ても、自分に死んでいない者は、神様に栄光を帰すことは出来ないのです。あなたは、キリストにある死を経験しておられますか。自分の栄光ではなく、神様の栄光のために生きておられるでしょうか。


「私たちは、キリストの死に預かるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それはちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも新しいいのちに歩むためです。」ローマ 6章4節  聖書

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