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からし種(牧師コラム)より

「礼拝の民と言われるイスラエルの人々ですが、そんな彼らにも礼拝を捧げることができなくなった時代があります。それはイスラエルが外国の軍隊に攻められ、生き残った者が奴隷として異国の地に連れて行かれた時です。
旧約聖書の中には、その時のイスラエルの民の悲哀が記されている箇所が多くあります。イスラエルの民は異邦人たちから、自分たちの信じる神様を辱める言葉を聞き、心を痛めたのです。
しかし、そもそもそのような状況になったのは、イスラエルの神に力がなかったからではありません。神様を神様としてあがめず、民が礼拝をなおざりにしていた結果もたらされたものなのです。
だからこそ、イスラエルの民は再びイスラエルの帰還への道が開かれた時に、何よりも先に神様に礼拝をささげたのです。
世界中の主の教会で人々が喜びと平安のうちに礼拝を捧げることができる日が1日も早くくるよう心を合わせて祈りましょう。」
「無くてはならぬものは、多くはない。いや、一つだけである。」ルカ10章42節 聖書
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