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「いのちの書」*ルカ10章17〜20節


最高の5月です♡二宮駅まで歩く道。吾妻橋を渡ると数歩でみかんの花の香りに包まれます。金木犀やジャスミンの花の香りと並んでなんと爽やかな匂いでしょう!近所の方からいただいた山椒は鳥の落とし物からぐんぐん育ったものだそうで、新芽や実の香しいこと。鳥の囀りの中、美しい花々を眺めつつ、五感で癒しを吸い込んで気持ちの良い季節です。


みことばは「名が天に書き記されている」と題してルカ書より

こども日曜学校でも牧先生からよりわかりやすく今日の礼拝のお話を前もって聞きました。

「先週のお話を覚えてるかな?」「うん!72人!」よく聞いています😆

72人のお弟子さんがイエス様に遣わされて町々に行ったお話でした。

「さあ今日はその72人のお弟子さんが帰ってきたところです。どうなったと思う?」という質問に「ブレイクして帰ってきた!」😁と子どもたち・・・。

予想外!?の皆の返答に笑いながら💦さて、とお弟子さんたちのお話を聞いたことでした。


❶目の前で起こっている出来事の意味をさらに深く信仰的に捉え直すということ。


72人の弟子たちは、興奮して喜び勇んで帰ってきました。「イエス様のお名前を用いると悪霊どもでさえ私たちに服従します」と。

イエス様はそのような彼らに、彼らが悪霊を追い出せたのはどんな意味があるのかを説明されました。サタンが天的支配力を失うという大事件なのだ、と。

サタンが天を追われて力を失ったということーアダムとエバがサタン(へび)に騙されてこの世界はサタンの支配にあったけれども、イエス様がエバの子孫としてこの世界に降りてきてくださり、ついに「救いの時代」がやってきたということ。

それは、「自分達に何ができるか」ということではなく、悪魔の支配に破れ口ができてついに「救いがきた」のであり、それゆえに悪魔も本気で戦いを挑んでくるーまるで人間に被害を与えるへびやサソリのように、私たち人間が神・イエス様の御名を信じることを阻止しようと必死に挑んでくるのだと、そのように語られました。


神を信じ歩む者にもサタンは必死に誘惑を仕掛けてきます。巧妙なやり方で挑んでくるのです。私たちがそのような霊の戦いを感じる「試練」において「キリストの御名」を持っているということは非常に大きなことであり、エペソ書6章にある神の武具を身につけてしっかりと武装するということが重要です。


あのパウロも戦いを常に感じ、またイエスさまに対してもサタンは誘惑を持って近づきました。イエス様がみことばを持って対峙されたように、私たちもこの内側に常に働きかけてこようとする声に対し万全な神の武具を持つことが必要なのです。


エペソ6章10〜18節にこのようにあります。

「主にあってその大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身につけなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから邪悪な日に際して対抗できるように、また一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。そして堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべての上に信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。あらゆる祈りと願いによって、どんな時にも、御霊によって祈りなさい。そのために目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」


❷私たちが本当に喜ぶべきことはいのちの書に名が記されていること。


イエス様は喜んで帰ってきた72人の弟子たちに言われました。

「しかし、霊どもがあなた方に服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。(20節)」

「名が天に書き記されている」というのは「名簿」のようなものであり、それは聖書において「いのちの書」であると記されています。この「いのちの書」には、永遠のいのちに入る人だけの名前が記されているのです。

先週のみことばですが「天下にイエスキリスト以外に救いはない」と語られました。この神様の与えてくださった恵みを信じ、イエス様が私の罪を代わりに担って下さったことを感謝し、自らの罪を悔い改めるときに、私たちは、神様との永遠の交わりに入れられ、たとえ地上での生涯が終わったとしても、よみがえり、永遠のいのちの保証をいただくことができるのです。

それでは、この「いのちの書」に私たちの名前を書いてくれたのは誰なのか?受動態の文章の中に主語がない場合は大抵「神様」がされたと考えますが、ある牧師先生が、このことを注意深く考え、聖書を読んだ時にイエス様が書いてくださるのではと断定されているそうです。

黙示録の13章8節にはこのようにあります。

「地に住む者たちで、世界の基が据えられた時から、屠られた子羊のいのちの書にその名が記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。」

屠られた子羊とは、イエス様のことであり、イエス様こそが、私たちの名をいのちの書に記してくださるのです。

イエス様は、これを何よりも喜びなさい、と言われたのでした。


神様の恵みが及ぼされる領域には大きく分けて三つあるのだと語られました。

①イエス様の名前は使わないけれど神様の御心にかなった働きー福祉事業

②イエス様の名前を使って進められる働きーこの72人の弟子たちのような働き

③イエス様を信じた者だけが入ることのできる永遠の世界ーいのちの書に名が記されること


イエス様は、弟子たちに向かって、②でなく③を喜びなさい、と言われたのでした。

この世界でどれだけ何かを成し遂げたかでなく、永遠のいのちをいただけることを喜びなさい。自分が神様にどのように取り扱われているのか、そのことを喜びなさい、と。そしてそれに相応しく生きなさいと言われたのです。


私たちが与えられている恵みがどれほど大きなものなのか。それを与えてくださる神様を見上げつつ、その憐れみを願いつつこの喜びに立って、今週のあゆみも導かれたいです。


「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか」ルカ9章25節 聖書


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